2010/08/31

盆と陰陽 by S.N

何故お盆は夏の暑い日の行事なのか?
盆は死者を死後の世界(陰)から死前の世界(陽)に戻す行事である。
陰の極みである死を生に転換するためには極陽が必要である。
だから夏という陽性の力を借り、盆という陽性な行事を一層陽性化(極陽化)するのである。


死者が住むあの世は陰性、この世は陽性。
迎え火はあの世からこの世へ故人を迎えるための火で陽性。
送り火はこの世からあの世へ故人を送るための火で陰性。


精霊馬がキュウリとナスである理由は?
1)季節の野菜であること
2)キュウリは中国伝来の七夕の伝承との関連、ナスは仏様が座る「うてな(萼)」との関連。
またキュウリは、あの世から早く家に帰って来られるように馬を(陽性)。
ナスは、この世からあの世へ帰るのが少しでも遅くなるように、そしてお供え物をあの世に持ち帰ってもらえるように牛を(陰性)模している。


*このブログはCI協会スタッフによる勉強会の内容を掲載したものです。

宮大工と陰陽 by T.T

「木組み」とは木と木を繋ぎ合せる方法。
その基本は単純な陰陽の組み合わせ。
木材を受ける陰と、差し込む陽に加工し、それを結ぶことで建物を組んでいく。
木組みに日本の陰陽概念に裏打ちされた伝統建築の真髄がある。
「結ぶ」ということは「解く」ということ。
1300年前に建立された法隆寺の現在の姿は解体(結ぶ)と修理(解く)の賜物。
変化に逆らわずに結び・解く。
「むすんでひらいて」の歌詞。

むすんで ひらいて 手をうって むすんで またひらいて 手をうって、その手を 上に
むすんで ひらいて 手をうって むすんで


むすんで ひらいて 手をうって むすんで またひらいて 手をうって、その手を 下に
むすんで ひらいて 手をうって むすんで


むすんで ひらいて 手をうって むすんで またひらいて 手をうって、その手を 頭に
むすんで ひらいて 手をうって むすんで


むすんで ひらいて 手をうって むすんで またひらいて 手をうって、その手を ひざに
むすんで ひらいて 手をうって むすんで


「手をうって」=調和、禊ぎ、お清め
「上」「頭」=天
「下」「膝」=地 
⇒天地(陰陽)


*このブログはCI協会スタッフによる勉強会の内容を掲載したものです。

月と陰陽 by M.M.

新月と満月。
新月は、太陽-月-地球の順番、満月は、太陽-地球-月の順番。


新月には月は暗く(陰)、満月には月は明るい(陽)。


新月の時、人間にとっては陽性に働き、満月のとき、人間にとっては陰性に働く。


新月の時、下半身に気血水が集まり(頭寒足熱)、満月の時、上半身に気血水が集まる(頭熱足寒)。


新月の時の具体的作用は、解毒、洗浄、発汗、発散、出立など解き放つ作用(陰性)。


満月の時の具体的作用は、補給、摂取、保護、休養など取りこむ作用(陽性)。


*このブログはCI協会スタッフによる勉強会の内容を掲載したものです。

8/31:朝日新聞8/30夕刊

糖尿病に対する白米と玄米の影響を調べた研究結果が紹介された。
研究対象は男性医療職と女性看護師合わせて19万7228人(白人95%)で、最長22年間の追跡調査の後、糖尿病1万507例の発症を確認したそうだ。
図にもある通り、白米を食べる回数と玄米を食べる回数それぞれと2型糖尿病になるリスクとの間には反比例の関係が見られた。
玄米の力、恐るべし。

2010/08/26

8/26:うえかしたか

知り合いのT氏が胃がん手術を受けた。
術後、抗がん剤治療をしていたが蕁麻疹が発生したため玄米食に切り替えた。
彼は、玄米を美味しく食べるために豆と雑魚を使うことを思いついた。
創意工夫・想像力という宇宙の根本の働きを体現した彼は次の事を悟った。
う ん・・・運
え ん・・・縁
か ん・・・勘(直感によって悟る能力)
し ん・・・信
た ん・・・胆(胆力・・・ものに動じない気力)
か ん・・・感(感情のコントロール)

2010/08/23

8/23:滝と人

三大瀑布(那智の滝、華厳の滝、袋田の滝)に代表される日本の滝。
滝を眺めていると、その激しく落下する水の流れは命の有様を実感させる象徴だと思える。
水量と浸食により滝の有様は変わる。
同様に、食物の量と質により人の有様は変わる。
水と食が織りなす自然(滝)と人体への影響の多大なるものよ。

2010/08/20

8/20:今日の自分と明日の自分

ルドルフ・シェーンハイマーは、生体を構成する物質が日々絶えず入れ替わっていることを実証した米国の分子生物学者である。
同じ分子生物学者の福岡伸一は彼の理論に共感し、「生命は流れの中のよどみ」という考えに至った。
つまりはこういうことだろう。
「今日と明日の自分は全く違う存在である。自分と云うものは何処にもない。故に、自分本位な考えの空しさを知り全体、無限、永遠に導かれて生きていくのが人間である。」

2010/08/19

8/19:合気道と陰陽

合気道では相手の力を利用して技をかける。
すなわち、相手の押してくる力(陽性な力)と引いてくる力(陰性な力)を利用するのである。
相手の陽性な力に対しては陰性な力を、陰性な力に対しては陽性な力を使う。
そして、技をかけた後、相手はひっくり返る(回転・スパイラル運動を行う)。
技をかけた相手も、受けた相手も陰陽調和の後、スパイラル運動を経て、自然体(秩序)に還るのである。


2010/08/18

8/18:思慮と実行の陰陽

考えるだけではだめだ。
実行に移さなければ。
考えることは誰にでもできる。
考えに考え抜いた結果、何かある考えが出てきたとしても、そこで満足してはダメだ。
実行に移さなければ何の意味もない。
「考える」という動作を陰と考えるならば、「実行に移す」ことは陽である。
考えて実行に移して初めて陰陽が調和するのである。

2010/08/17

8/16:盆と陰陽

お盆とは、故人(陰性な人)を、迎え火を焚いたり輪になって盆踊りを踊ったりといった陽性な行為で偲ぶものである。
人は、亡くなった人には陰性な思いを抱くものである。
江戸時代から、お盆にウナギを食べる風習がはじまった。
これは、陰性なものをたくさんとっている夏に、火や踊りといった陽性さでは間に合わず、動物性をとることで陽性化しようとしている。
肉体という陽性しか考えなくなっている時代だが、心という陽性を考えることが必要である。

2010/08/11

8/11:合成の誤謬と陰陽

部分と全体との関係を考える際に合成の誤謬という言葉がヒントとなる。
合成の誤謬とは、部分では正しいが全体では意図しない結果となることを意味する。
例えば、一家庭の消費節約は貯蓄額の増加を促す。
それ自体は問題ないが、全家庭が消費節約をすると、経済が停滞し収入が減少し、お金が循環しなくなるのである。
このように経済もミクロ(部分)とマクロ経済(全体)から成っていることは既に自明であろう。
そして、そこに合成の誤謬が生ずるために陰陽調和作用が求められるのだ。

2010/08/10

8/10:有限性の認知

陰陽という不可視世界の存在を認め、可視世界の再可視化を試みよう。
この世界は全て有限であり、自然には許容量がある。
その秩序を無視した発展の結果、日本は一次産業貧困国化し、輸入に頼り、大量の食料・飼料の輸入(60%以上)、化学肥料、農薬による大地の劣化が進み、「富栄養化問題」も発生している。
ここに限界があるのではないか。
それを陰陽と云う見えない世界の存在を認め、再確認しようではないか。

2010/08/09

8/9:判断力と体質

空間は無・空ではなく、そこに全てがある。
全てとは陰陽と云う秩序であり、その秩序により全てが生みだされ、生かされ、循環している。
陰陽調和にのみ発展があり、その違反は破滅をもたらす。
判断力とは調和の深さや度合い、体質に依存する。
そして、体質を決めているのが日々の食物なのだ。

2010/08/05

8/5:精神と物質、考えることと夢の実現

精神の働きや有様を探っていく際、「考える」働きが意味を持つ。
夢と「考える」機能には同一性が見て取れる。
とりとめのない夢と正夢、子供の頃から考え・思い抱いてきた夢の実現(体験)などが精神と物質の世界を結ぶのである。
物質の世界と精神の世界の同一性を認めれば、精神の世界が物質の世界を作り主宰していることが分かる。
人間が何かしようと「考える」ことは、宇宙の働きそのものである。
「考える」ことができ、肉体が健康であれば、願うことは全て正しく全て実現可能である。

2010/08/03

8/3:陰

陰の働き。
この世は陰(見えない無の世界)と陽(見える有の世界)の二重構造であるが、陽は陰に指導・コントロールされている。
昔の人はそのことをよく知っていた。
お陰様、お陰参りなどの言葉が代表であろう。