2012/02/22

桜沢如一資料館 レポート①

今年1月15日(日)に開催しました「資料館新年会」から早くも1ヵ月が過ぎてしまいました。本当はもっと早くレポートを仕上げる予定でしたが、遅れに遅れてしまい申し訳ありません。

さてフェイスブック上では既に当日の模様をアップしておりますが、改めて当日何が行われたのかまとめておきます。


【報告内容】
①桜沢如一資料館(以下:資料館)の立ち上げ趣旨の説明
②資料館の今後の活動予定内容の報告
③参加者達による交流の場としてのメーリングリスト、フェイスブックの活用について
④「桜沢如一学会(仮)」の立ち上げにむけた準備


①に関しまして改めて報告しますと下記のようになります。
「マクロビオティックの創始者「桜沢如一(ジョージ・オーサワ)」の創設した日本CI協会に残る膨大な資料を中心に、全国に散らばる未知の文献や情報を調査・整理・保存し、インターネット上で公開する活動を有志で行っています。」

桜沢が書き残した文献が未整理のまま大量に保管してあり、その歴史的価値を考えれば今のままの状態で保管しておくことに危機感を覚えたことが背景にあります。また彼の出生地一つとっても和歌山なのか京都なのか(戸籍上は京都なっているが後に本来の出生地の和歌山から転籍したようである)あやふやな所があり、そうした点も含め桜沢如一の人物史と関連資料を正しく整理しようというのが根本的な活動趣旨にあります。


①の目的を達成するために②において今後ボランティア・スタッフによる活動予定内容を以下の通り報告しました。
1)資料館書庫内の資料整理
2)全国(日本・海外含め)津々浦々に点在する桜沢如一に関する資料の収集もしくは所在地(保管人)の確認

1)は書庫近場のホスト・スタッフにより定期的に行います。具体的には以下の活動を行います。
ⅰ)書籍を整理し「桜沢如一資料館 著作データベース」へのアップ
ⅱ)写真を整理し「桜沢如一資料館 画像データベース」へのアップ
ⅲ)カセットテープの講演録をデジタル化し「桜沢如一資料館 音声データベース」へのアップ
ⅳ)各遺品(装飾品、衣服等)を整理し「桜沢如一資料館 遺品データベース」へのアップ

2)はボランティア・スタッフによる報告に基づく。具体的には以下のように情報を整理します。
ⅰ)上記「1)」の活動をサポートするための各種資料(書籍、写真、音声、各遺品など)を保存している人物もしくは場所に関する情報をホスト・スタッフへ連絡
※入手して頂きたい情報は連絡を受けたホスト・スタッフが渡す「調査確認項目書(仮)」に記載してあるのでそれを参考にする。
ⅱ)実際に現地(人物)を訪問し諸々の情報を収集
ⅲ)収集した情報をメール添付で報告
※メールアドレスはボランティア・スタッフにご登録頂いた方にお知らせしてあるものです。スタッフにご登録になりたい場合は次アドレスにご連絡お願いします。<nanabayashi@ci-kyokai.jp
ⅳ)情報をホスト・スタッフの方で整理し管理表上に登録。各種資料の区分に従い資料館に資料をアップ。


③のうちメーリングリストは上記の通りボランティア・スタッフにご登録頂いた方にお知らせしてあるものです。スタッフにご登録になりたい場合は次アドレスにご連絡お願いします。<j-info@cikyokai.jp>。
フェイスブックを活用できる方は誰でも書き込みができるため正式な意味での「報告の場」ではありませんが、ご自由にアップして情報をシェアしていただいて構いません。但しボランティア・スタッフとして登録していただいている方以外の書き込みは信憑性が確認できないため自動的に削除いたします。

④「桜沢如一学会(仮)」とは桜沢が研究してきたテーマごとに定期的な報告会を開催し、その内容を学会誌として編纂・発表することを目的としています。現在ホスト・スタッフによりテーマおよび桜沢執筆書籍および関連研究書籍を整理しています。学会の立ち上げ時期は未定です。
※現在、ホスト・スタッフにより最新の原子転換書籍「Cool Fusion」の翻訳作業をしております。ご協力頂ける方がいれば下記にご連絡ください。
nanabayashi@ci-kyokai.jp

2012/02/15

心があるという意味

毎朝歩いて来る道にイチョウの木があります

冬ですのでその樹の葉は落ち、枝が寂しく冬の寒風にふかれています

その一方で新宿西口から歩いてくる道を見るとイチョウの樹がこちらはさらに寒々と枝を切り落とされ、なかばみすぼらしい姿をさらけ出しています

この木々を見ると、枝を切り落とされて自然を大切にしていないと一見すると考えがちです

しかし、枝を切り落とすのにはそれなりの理由があるわけです

それは人間の側の危険回避(もしもの時、通行の邪魔になるなど)の結果として表われているわけです

そして樹を伐採して自然破壊をしている、と考えるのも人間の勝手な思い込みです

ひとたび結果としての枝を切り落とされた樹に焦点を置いてみますと別の考え方ができるように思えます

樹としては切り落とされることに対してどうしようもありません

自分は受ける、身構えるしかありません

ちょうど、コンピューターと将棋の元名人が対戦し、コンピューターが陰性な戦略をとり相手の出方を待つ(陽性な行動)ことで勝利を手にしたように

受け身(陰性)の行動は陽性を引き付けます

なぜならば陰陽は調和するのであり、陰と陰、陽と陽は互いに反発し合うからです

それは不快な状態であることは実体験からも分かると思います

その現実から目をそむけるようなことをせず、それをありのままに受け止め、感じることが大切です

なぜならば直感は判断力のことであり、それは感性によりしか磨かれず、その感性は自分の実体験の結果得る以外方法がないからです

話を戻しますと、枝を切り落とされた葉は冬という陰性な環境で陰性な状態にされることで陽性になろうとします

強くなるわけです

マクロビオティックは現状の陰陽調和を目指すものではなく、できないことができるようになる、だから面白いわけです

桜沢先生はそれを「ジャンプ」と表現しました

できないことを出来るようになること、つまり、より厳しい環境で生き残るためには苦労しなくてはなりません

若い時の苦労は買ってでもしろ

まさにその通りですね

2012/02/08

排他性と依頼心

自分のことだけ考えている人が多いように思います。自分の世界にだけ留まり、他者との交流をしない。インターネット社会はまさにそれを助長しているように思えます。「つながり」がキーワードとなった東日本大震災。たしかに現代文明の最高傑作とされる科学技術が人々の絆を結びつけ続けたことに疑いの余地はありません。ツイッターが大変役に立ったという事実も否定しがたい事実です。

その一方で、そのバーチャルな空間でのつながりをリアルな世界でのつながりと勘違いしている向きも往々にしてあるのではないかと、疑うようになってしまいました。バーチャルな世界ではあくまで自分の世界は侵されないことを前提としているように思えます。あくまで自分が起した行動に対し、自分が心地よいと感じる人々からの心地よいアドバイス、忠告が貰えるのです。

世の中はそんなに穏やかなものではありません。自分とは馬の合わない人と沢山付き合っていかなくてはいけないのです。必ずしも自分が心地よいと感じる人とだけのつながりを持つことは許されない、それをエゴといいます。あくまで自分が主体な関係を築いていく、それが排他心を生みだします。

桜沢先生は海外に研究生を派遣するさい、最も排他性が少ないと思えた自分の教え子を派遣するようにしていました。なぜならば、ゴウマン、エゴの塊の人には他者を受け入れる包容力、受容性が欠けているからです。損な人に平和な世界の建設はもとより、マクロビオティックの普及活動などできるはずがありません。すぐ音をあげてしっぽを巻いて帰って来るに違いありません。

なぜそのような排他性を持つのか?それは一言で言ってしまえば自信がないからです。なぜ自信がないのか?それは自分に正直でないからです。正直でないと、つまり嘘をついていると誰かから何かを指摘されていることをビクビクすることになります。指摘されること自体は問題がないのですが、何か自分自身でやましいことをしている、した、と分かっているのに自分は何も悪いことはしていない、と言い訳をしている人は、ビクビクして、自信がなく、覇気がない、活力がなく、明日へのバイタリティがなく、そして何よりも他人を頼ってしまいます。なぜか?それは自分を過度に卑下しているから、どうせ自分なんて、という考えが生まれる。それが自分の殻(限界)をつくってしまい、そこから外の出来事は自分の力の範疇に及ばないことだとあきあらめ、自分がコントロールできないことに対し他人に依存してしまう。

さらに悪いことに自分の殻が狭い場合、自分の世界が狭い場合、他人への依頼心が非常に膨らんでします。このことからも分かる通り、桜沢先生が健康の七大条件の55点に正義を掲げた理由が分かるのではないでしょうか?つまり、正義とはウソをつかないこと。ウソは自分を騙し、本当の自分、本来の自分から自分を遠ざけてしまいます。そしてそれは自分の心地よさと反比例します。つまり、ウソをつくと、排他性が高まり、依頼心も膨らみ、心地よさはマイナスになり、結果として、エゴ、ゴウマンが残ります。

ゴウマンとはどんな他人でも治せない不二の病です。唯一、自分自身がそれを治すことができる。そのために、先ずは一粒の玄米に感謝することから始めませんか?食べ物でなくてもよいのです。自分の周りには当たり前に起こっているあらゆることが無数にあります。その一つ一つに注目し、その一つ一つに感謝する、「ありがとう」という気持ちを抱き、言葉を発する、そこからゴウマン病は徐々に緩和されていきます。ゴウマンに反比例する形で感謝は増えます。感謝する心が増えればゴウマンは自然と無くなっていきます。

2012/02/07

ニューヨーク講演⑩桜沢如一

ニューヨーク講演⑩桜沢如一

―先生のご本はいつ来ますか?

桜沢 もう来ます。もう着いているはずなんです。17日についているのです予定では。だからもう27日だからね。あした必ず電話して返事して。今年中にはみんなの手に入るでしょう。今日ね、ここでお話しするようなことは本にはありませんよ。病気の治し方とかなんとかはありますけれどね。あなたがたの頭の改造ということはない。口と口でね、面と面と向かい合ってでないと言えません。本を書くのにはみな牛の子がその人間になってないと分からない。これは皆さん考えて下さい。どう言ったら物心一如、色即是空、空即是色を言い換えられるか。柳は緑―これも陰陽と云うことを教えるために書いているのです。春ともなればこういうふうになると。世の中は移り変わりの早いものである。うたかたの流れ行く水の泡のようであると云うことを書いてあるのですね。有名な詩人が書いているのですね。-どうですこれ一番難しい問題。どうして陰と陽ができたか。それから陰陽無双原理を利用してコンクリートに何とかして雪が積もったらすぐ消えるような方法は出来ないだろうか。それはね、歩いていると無数にそういう問題が起こってくるというのですね。こいつは今になんか発明すると思いますねこれは。どうです、何にも考えないんですかねあなたがたは。

―別にそんな―夢みたいな話ですから・・・。太陽はなぜあったかいんです?

桜沢 太陽はちっともあったかくないですよ。

―いやあったかいです。

桜沢 あなた行ったことがないから知らないんです。―に地球があるでしょう。太陽はどっかこの辺にあるんですからね。その地球の周囲には100マイルほど大気層というのがあるんです。空気や何かね。それをポンと外に出たら太陽は見えないんですよ。何もみえないんですよ。光も何にも。何もない真っ暗闇です。太陽ってなものは暖かい物じゃあない。太陽からくる波がね、ここにはいってね、この分子に激突します。ここで熱くなるのです。ここで光り出すのです。ここまでは絶対に見えない。丁度こういうふうな真空管があってここからレントゲンが出るでしょう?X光線がね。ここに貴方が立っているでしょう?すると貴方の胸を通ってこちら側に出てる。何も光は見えないですよ。ただここにあるキーボーダーに影が映るだけなんです。ここに光というものはないんです。このキーボーダーが邪魔するのではじめて光が出てくるのです。太陽ってのは暖かいものじゃない。もうそれだけでもひとつ勉強になったでしょう。問題を出せば無数にありますよそりゃあ。
 どんな問題でも答えるのが無双原理なのです。いいですか。初めに云ったでしょう。馬鹿が、大学で特別な研究もしないのに、大学の先生に解けない問題を解けるようになるのがこの無双原理の徳なんです。だけどそれは練習しなければなりませんよ。

―それは結構なお話ですがね先生。

桜沢 例えば貴方の病気なんかどうして起こったのか、そして一体どうなるのか、ちっとも質問がないんで不思議でしょうがないのですがね。
 ところがですな、多くの皆さんは私はこう考えているんですが、直接衛生法、健康法に関係のあるようなこと或いは食事に関係のあるようなことをですな、幾たりもお伺いしてそしてその決定的に知りたいと思うのは主な人の考えだろうと思うのです。ですから―のことやら風邪のことやらそんなことを質問している余裕がないのだと思うのです。
 それは今言ったとおりでね。私の答えは二度繰り返す必要は無いですよ。何でもいいんだというのです問題は。無双原理の陰陽で解くことを練習するのが一番必要なのです。

―陰陽のことは私は何遍でも聞いてはっきり覚えたいとこう思うのです・・・。

桜沢 いやいや、それはとても陰陽で食物だけ深くやろうとしても駄目なんです。何でも陰陽で練習しておかなければ食物にも応用できないのです。陰陽という遣り方ですね。貴方はすっかり思い違いしている。無双原理というものはそういうものではない。全て幸福を作り出すものなのですよ。そのうちの幸福の一部分が健康なのです。幸福というものはここに五つ書いてあるでしょう?寿命の長いこと、財力の豊かなこと、無病なこと、徳を好むこと、天命をもって終わること、この五つあるのだと。そのなかのたった一部分が健康ということなんだと。その全部を保証するのが無双原理なんだと。こう言ってお話したでしょう一番初めに。その願いが分かっていないなら勉強したって無駄ですよ。

―それはわたしもこの陰陽というのが実際よく分からないです。

桜沢 それは遣ってみなければ分からない。

―どれだけそれがその生活に・・・。

桜沢 例えば水泳を習うのに右を出して左を出す、左を出したら右を出すと、こういうふうに陰陽とやるんだといわなくったってこれがはたして海の中泳げるかどうかなんて考えていたのでは駄目で遣ってみなければ駄目なんです。

―それはそうです。泳ぎなんてのは私はだいぶ遣りましたが、赤十字では人を助けるのに片手で泳がなくてはならない、横になって泳がなくてはならない。それが人によって泳ぐ向きが違う。それがいったいどうなるのかと質問したことがあります。そしたら、先生も知らないというのです。右と左になるのは初めから備わっているのではないかと思うんです。

桜沢 それはそうですよ。みんなその人その人で違いますよ。全てあなたがたはその、初めのお話しからちっとも分かっていないんだな。

―いえそれはね、ほんとうにあれですよ、えー陰と陽てのはあるって云うのは分かっています。でもそれほど大切なものであるかというのはちょっと・・・。

桜沢 それはね、北と南というのがあるということは分かっている。けれどそれが我々の生活においてどれくらい必要かということは分かっていないというのと同じですね。ところがこの東西南北が分からなかったら一歩も歩けませんよ。外に出てね、これから家に行くのに俺の家は北にあったか南にあったかそれを見分けることが出来なかったら一歩も歩けない。人生で陰陽というのが分からなかったら一日も生活できない。

―まあね、そういいますとちょっとね。私らは英語も何にもね。しゃべれないんですよ。―忘れてしまってね。それでも喋りだしたらようやく喋れるようになりました。考えてみると日本語を喋るのにいちいち、さ行変換なんて考えなくても喋れるでしょう。

桜沢 そんなものは学者が便利上後からつけたのです。

―ですから陰陽もそんなものではないですか?

桜沢 冗談じゃない。陰陽というものは学校で教えたものじゃないんです。自分で自然に自得するのでなくては駄目です。本能の発露なんです。本能の判断力なんですから。これはどこの学校でも教えないんです。ここの大学校でも教えないですよ。私でもこれご覧なさい、まあ白人ばかり捕まえて講義しているんでしょう。英語ってものを習ったことがないんですよ。文法も知らない絶対知らない。英語の文法を勉強したことがないのですから。ただ読んで書いてみて覚えているだけの話ですから。

―文法なんてそんなものじゃないですか?

桜沢 だから必要ないですよ。

―我々日本で習うとはじめから文法とかなんとか・・・それで日本の人は英語がよかったですよ、日本で英語習ってきたものは・・・。

桜沢 英国で一番偉いシェークスピアという劇作家小説家ね、これが文法知らないんだそうです。知らなかったそうなんですってね。だから彼のハムレットだのオセロだのにはずいぶん間違った文法があるそうです。これはシェークスピア文法というものになって今は認められているなんてね。

―ある本を読みましたら文法というものは年代によって変わってくるというのですね。

桜沢 ああそれは変わりますよ日本語でもね。

―だいぶ前の文法と今の文法と違う・・・。

桜沢 そんなね、人間がこしらえた知識じゃないんですよ陰陽ってのは。これは天地宇宙とともに初めから在るものものなんです。男と女、昼と夜、山と海なんです。もうこれ知らなかったらこれの方向を知らなかったら幸福にはなれっこないと。それで病気になるんだと。不幸になるんだと。ここに来ている医者で二回離婚されたのがある。もう一人女でね。もう美しくなった娘が有るんですがね。僕ははじめ40ぐらいかと思っていたらまだ30なんだというんですね。それにもう三分は白髪なんです。それで聞いてみたらこれはここで一番有名なお医者さん。ドクトルソロモンという人でその旦那さんが57なんだそうですが、患者として行っているうちに親しくなってついに俺の妻になってくれといわれて、私は私の青春を捧げて彼を全人類の貢献者にするために結婚した。ところが3年の間に5回人口流産をやらされた。そして毎日毎日ビタミンCの注射ばかりやられてこんなになっておなかはこんなになるし足はこんなに豚の腹みたいになってるのです。汚くて初めて来たときはびっくりしましたね。妊娠45か月かと思った。そんな人が居ますね。これはみんな自分の判断力が悪いからなんですよ。相手の夫がどんな夫だか見分けないで結婚したからです。そういう風な学校で教えられなかったところを判断する力を付けるためにここでやっているので、あなたがた学校で教えるような知識をここで求めようとしたらそれは間違いです。

―それは、そうじゃないです。陰陽というものは、それほど、ま、なかなかね、なかなか・・・。

桜沢 みんなだから何遍も申し上げたようにね、不幸というもの不自由というもの平和がなくなるということネ、こういうことは全てこの陰陽の原理を知らない人にだけあるのです。こんなに大事なことをお話しているのに、さっぱり一人も分からない貴方がたはね、まったくもう、はっきりしているので。西洋人のほうがよっぽど偉いですよ。今日は一人、明後日だ、特別賞をあげるひとがあります。あんまり良く出来るんでね、日本の人にみんな貰ってもらわなければならないのにね、駄目だね。実に里真と話しているんですがね、どうしてこう日本人は分からないのだろうか?

―日本の人はね、生半可に陰陽という名前だけは知っている。それなら西洋人みたいになんで何時陰陽なんて出来たのかな、どこにあるんだ、なんてそういう愚問は出てこないんですな。まあ、愚問といっては悪いけども・・・。聞き方も上手いですな。陰というものはどんな格好をどんな色だとかどこにあるんだとかこういう言い方になるんですな。それよりも我々の場合は直接身体に関することを愚な質問かも知れませんが・・・。

桜沢 それは、この間からお話したようにね、あなたがたは一つ一つ電球なんですよ。その電球全部に灯を付ける電気がね、宇宙の陰と陽という発電所から来てる。その元が分からなければ直ぐ切れてしまいますよ。それは分かってますか。

―それは、分かってます。

桜沢 それならば何故もっとこの陰陽の具体的な応用法を早く見出してもっと大きな光を出してもっと幸福になる方法を何故研究しようとしないんですか。一人もあなたがた直接食い下がってくる人がないです。あなたがたの中には。もう、白人の中には朝の二時、三時まで残っていく人がいますよ。なんだかあなたがたは小学校の生徒みたいに先生のいうことをもう一所懸命覚えたらいいと思っているらしいんだね。駄目なんだよ、ここじゃあ何にも教えない。あなたがたの陰陽の判断をこう、尻叩いていくだけの話なんだから。それではね、ここに船がありますね。 船はここにロイド線というのがあって、これから下は全部真っ赤に塗ってありますね。大きな船は。何故?

―錆びないようにでしょう。

桜沢 錆びないため。うん。それはみな分かってますね。錆びを取るから。それが間違い。錆びないためじゃないそこは。

―そればかりではなしになにかその海草が引っ付いたりその・・・。

桜沢 そう、カキがくっつかないためにやってある。貝殻がくっついて一年そのままにしておくと船の速力が二割落ちてしまうのです。それで一年に二回はドックに入ってこんこん叩いて落とすんですよ皆ね。

―ペイントはそれをよけるためにするんですか?
桜沢 避けるためにね。避けるためにしてあるとするとこれはいいですか悪いですか?赤いペイントですよ。

―やむを得ずやらなくてはならんことでしょうな。

桜沢 うーん。そこらで陰陽が必要になってくるんです。それが分からないと何十万円損するか分からないんです。

―荷物が何トン入ったということがおおよそ分かるのではないですか。

桜沢 そんなことはもうその上にちゃんと印が入っているからね。カキ、貝殻ってものはなんですこれは?陰性ですか陽性ですか。

―陰性です。

桜沢 陰性?そしたら赤なら余計引き付けるじゃないですか。陽性だから引き付けるじゃないですか。陰と陽なら引きつくじゃないですか。それなら赤い色を塗ったらだめじゃないですか。紫色か藍色に塗らなきゃだめじゃないですか。これに全部藍色か紫色を塗ったら一航海ごとに何万ドルというのが儲かります。カキがくっつかないから。だれも知らないだれも。

―ヨーロッパの船はブルーに塗っている・・・。

桜沢 船底を?

―いいえ外から何かをグレイにしてある。

桜沢 底だって言いますよ。底じゃない。

―たいてい赤ですな。

桜沢 ああ、たいてい赤です。船底塗料というのは決まっているんだから。これは西洋人のばかな所なんです。赤を塗っていたらものは寄り付かないだろうと思ってる。

―魚がこわがると思っている。

桜沢 と思っているんだね。ところが陰性のものは皆引きつけられていく。

―日本の船はどうですか?

桜沢 日本でも皆そうですよ。

―くっつきますか、貝が?

桜沢 赤い奴は皆隠れちゃう一年航海したら全部隠れちゃう。小さなこんな奴は皆くっついて動かない。

―紫にしたらどういうわけになるのですか?

桜沢 周りにつかないじゃないですか。そういう簡単な頭でおるから病気をするんですよあなたはね。その造船業界の偉い大学の造船技術のプロフェッサーなんてのはこんな人ですからね。人民の名も無きものがよって来て話したって何が分かるものですか。陰陽が分からないから貴方。絶対無駄ですよ。今アロンゾーさんが新聞を持ってきましたが、今度は食品の科学薬品添加するのを禁ずる法令があるのはすぐに動き出すそうです。今日から。ニューヨークタイムスに出てますからね。ところがこういうものは皆だめなんです。この前チキンが注射で大きくなってると。ところがその注射はガンをこしらえるものなんだと言うことが分かったら皆貴方チキン売れなくなったでしょう。そしたら商売人はもっと賢いですよそれは。ポンド10セントにしたんだ。そしたらひと月で売れる分が一日で売れてしまったというんですね。余計売れちゃった。そんな訳でね、・・・の知識がないために毎日損しているのですよ。インド人なんかのほうがよっぽど賢い。いまだに粉を挽いてそれを自分でこねてチャパティというもの、ここで時々やるでしょう、あのチャパティというものをこしらえて焼いて食っているのです。ふくらし粉も何にもいれないで。

―インド人は暇があるからじゃ無いですか?

桜沢 そんなことはないですよ、暇がある訳じゃないですよ。それはやっかいですよ。朝晩それを頭に載せて板に載せてその上に並べて行き来してますがね。命が尊いか時間が尊いかね、どっちが尊いです?

―アメリカの人は時間が尊いらしい。

桜沢 それが大きな間違い。タイムイズマネーと言うのです。そこの国に貴方はもう流されて来たのです。ところがタイムイズモアザンマネーなんですよ。タイムはマネーを作るけどマネーはタイムを作らないんです。タイムというのは金では買えないものなんです。そこに大きなミスがあるんだね。

―長生きすることからいくと貧乏な人間が一番短命なんでしょう?

桜沢 そりゃそうですよ。チャパティだけで生きてるんじゃないから。チャパティだけで生きているんなら長生きするでしょうがね。日本人でもそうでしょう、米だけ食ってるならもっと長生きするはずなんだが、ところがここじゃ六十七歳まで生きるってことになっているんでしょう?でもこの間お見せしたリポイゾンインユアフードという本によるとですね、もういろんな学者が攻撃してますよ。今九千万人の慢性病者が登録されている、一億八千万の中で九千万人が登録されている。登録されない奴はまだあれですよ、それが慢性患者として登録されている。それじゃこの国は病人の国じゃないですか。いくら長生きしたって何にもならない。

                                        (つづく)
19952月号No.689


Spiritual Development(精神の発達)


An Interview with Ronald Koetzsch, PhD, July 2011 by Julie Ferre 
(2011年7月 ロナルド・コーチへのインタビュー:
                                                        ジュリア・フェレー)








 










ロナルド・コーチは多くの分野に精通している人物です。2011年の夏開催されたフレンチ・メドウ・キャンプで彼の近況と、マクロビオティックとルドルフ・シュタイナーの共通点に関し彼にインタビューすることができました。




マクロビオティックを始めたキッカケは何ですか?


 1967年、私はハーバード大学大学院の2年生として世界宗教研究センターに在籍していました。日本の宗教と文化を研究するために日本語を勉強していました。その1年前にはベジタリアン食をしており、既に玄米も食べていました。友人がボストンのアーリントン通りにある協会で久司道夫の講義に参加していたので、私も行ってみました。食事療法という考えは常識のように思えたので、以前からの食事を変えることに時間もかからず、苦労もしませんでした。コーヒー、砂糖、ナスなどは食べなくなりました。当時、ボストンマラソンに参加するための準備をしていました。食事を変え、厳しいトレーニングをすることで良い結果を残すことができました。
 学業から少し距離を取り、久司道夫の元に行き、しばらくの間、彼のもとでマクロビオティックを集中的に勉強しました。短い間ですがエレホンを経営し、それから、ニューズベリー通りにある地下の店頭でも働きました。その後、1967年後半、日本へ行き、東京に住む道夫の両親と2カ月ほど生活し、里真先生を知ることになりました。研究生として京都大学に入学するため京都に越し、短期大学で英語を教え始めました。




博士号はいつ取得したのですか?
 
 日本から帰国後、さまざまなことに取り組みました。シカゴにマクロビオティック・自然食品店を開き、マクロビオティックの団体を創設する傍らアウトワード・バウンドでインストラクターとして働き、ニュー・イングランドのプレップスクールで教師をしました。1976年、博士論文を書き上げることを決心し、研究をしながら、もう2年間、日本に滞在しました。1981年にハーバードから博士号を授与され、その時の論文のトピックは「桜沢如一と日本の宗教的伝統」でした。日本の文化と歴史という文脈から見た彼の人生と思想が主題でした。1985年にはそれが出版され、本のタイトルは“Macrobiotics: Yesterday and Today”となりました。




マクロビオティックに関する他の本が出版されたのはいつですか?
 
 その後、1988年に“Macrobiotics Beyond Food”が出版されました。




反響はどうでしたか?
 
 マクロビオティックを始めた最初の頃、自分が食べる物は生活の中で非常に重要な部分を占めているとは思っていましたが、他にも大切なものがあるのだと思っていました。私たちの身体を養い、堕落させ、強い影響を及ぼす他の様々な「食べ物」があります。感情、思い、人間関係などです。そこで、私はこうした全ての食べ物をGOが分類した肉体的生命、感覚的生命、感情的生命などの枠組みを活用し、それらがマクロビオティックの原理にどのように適用できるのかを確かめることにしました。ちょうど同じころ私は、アントロポゾフィー(人智学)の創始者であるルドルフ・シュタイナーとシュタイナー教育の研究をしていました。マクロビオティックと人智学には多くの共通項があり、お互いに補い合うものがあることが分かりました。1988年に出版した本には人智学の多くの考えを紹介しました。




人智学の研究はどのくらいしていたのですか?


 マクロビオオティックの研究の後、1972年から5~6年です。イースト・ウエスト・ジャーナルに寄稿していた際にシュタイナーとシュタイナー教育に出逢いました。ルドルフ・シュタイナーに関する記事を書き、その後、シュタイナー教育について書きました。1989年と1990年、人智学のメッカであるスイスのドルナッハで基礎研究をしました。




フェアオークにあるルドルフ・シュタイナー・カレッジのような場所だったのでしょうか?


 かなり近いものがあったように思えます。シュタイナー思想の学習に加え、かなり芸術的な面、例えば、絵画、製図、音楽、歌唱、劇、詩、彫刻、勉強できるような環境でした。生まれ変わるためのツールとして芸術を学ぶことができる、そうした環境でした。1991年、私はマサチューセッチュ州アーモスト住んでおり、シュタイナー学校協会は私にシュタイナー教育について記事を書いてほしいと頼んできました。彼らは過去に私が書いたシュタイナー、人智学、シュタイナー教育に関する記事を読み、自分ならば大衆とうまくコミュニケーションがはかれると思ったのでしょう。雑誌は「Renewal: A Journal for Waldorf Education」という名前で、学校の父母向けのものでした。1年に2回、約15,000部の増刷し、20年以上たった今でも私が編集長を務めています。




「マクロビオティック・トゥデイ」誌の読者は人智学から何を学べますか?


 一つは芸術の重要性が挙げられます。芸術は治療のツールになる可能性が期待できます。歌うという行為がもたらす効用に関する研究や、絵画、製図、演劇などの芸術活動の結果、力強く高尚な健康体が生まれるという効果に関する研究などもあります。例えば、ベートーベンやバッハの曲を聴く、あるいはラファエロの絵画を鑑賞することで芸術に対する真の評価が生まれ、それが健全な肉体をもたらすのです。
 私が教えているルドルフ・シュタイナー・カレッジでは将来のシュタイナー教師を育成しており、芸術活動は必須の日常活動となっています。歌、音楽、彫刻、劇など、常に何かしら起こっている状態です。芸術は真に人生の一部であり、人間の一部ですが、今日、芸術は消費財に成り下がってしまっています。iPodの中に6,000曲もの音楽を入れ歩き回っていますが、「曲」を携帯することができないでいます。大変悲しいことです。
 手細工や手芸もまた大切です。カレッジでは学生は皆、編物、縫物、木掘を習います。夏のプログラムでは、木掘の授業で学生は小さなハープを造ります。全く経験がない彼らが、3~4ヵ月もすると美しいハープを造り、それを使いハープの演奏を習うのです。そうした経験が大事なわけです。
 人智学が提供する別の側面に首尾一貫した宇宙論、つまりこの世界、人間、人間の運命を理解する方法論があります。シュタイナーの世界観は、カルマや輪廻転生の考えを含むキリスト教の密儀にその土台があります。人智学はまた、我々の高次の認知と道徳的直観の発達を促すことを意図した明瞭な瞑想的訓練も含んでいるのです。




人智学的な食事法へのアプローチとはどのようなものですか?
 
 多くの点において人智学はマクロビオティックと似ています。シュタイナーも穀物が人間の基本的な食べ物だと言っていますし、私たちは地元の食べ物を季節に応じて頂くべきです。概して人智学者も全粒穀物を多く食べます。その中には玄米、全粒パン、野菜、種、ナッツ、フルーツなどを含みます。文化面の影響も見逃すことができないのも事実です。GOは米、豆腐、味噌汁、梅干しなど伝統的な日本の食品を豊富に含んだ食事法を推薦していますが、シュタイナーはヨーロッパ文化の中で生活してきたため乳製品、特にヨーグルトやチーズなど文化的な影響を強く受けた食品を摂るよう指摘しています。蜂蜜も貴重な食べ物だと指摘しており、食べ物の重要性に関するハッキリとした理解を持っていました。彼の弟子が精神的な高みを極めていない理由を聞かれシュタイナーは、栄養の問題だと答えています。




彼自身はどのようにアプローチしているのですか?


 精神的向上について言えば、彼はベジタリアン食と禁酒を提案しています。穀物と野菜の質の重要性についても強調しており、それはバイオダイナミックと呼ばれる、ある種の有機農法の開発に繋がりました。バイオダイナミック農法を実践している農家は全世界に何千とおり、彼らは殺虫剤や化学肥料を一切使いません。肥料を使わず、特別な調合剤を使うことで土壌と植物を活性化さえようとします。例えば、タンポポの葉の部分と他のハーブを牛の肥料にまぜ、牛の角の中に入れ、冬の間それを地中に埋めておきます。春にそれを掘り出し、薄め、レシピに従ってかき回し、植物や堆肥の上に吹きかけます。こうした調合剤が10種類ほど存在し、シュタイナーによればこうした調合剤により宇宙のエネルギーを地面と植物に引き寄せることができるのだそうです。産業的な農法は地面を痛めます。土壌の回復が不可欠であり、それにより高品質な食品が育ち、結果、精神活動が助長されることになるのです。




シュタイナーが強調したいことは何なのでしょうか?


 基本的なメッセージとして一つ挙げれば、我々は自分たち人間に対する精神的な理解度に応じ人間の文化を更新していかなくてはいけないということです。その根拠として彼が指摘しているのは、人生におけるあらゆる側面は変化するという点であり、宇宙の創造物である全ての人間はユニークかつ神聖で、一人一人、精神的古郷と運命を抱えているということです。




彼も神智学者ですよね?彼の原点は何だったのでしょうか?


 彼は子供の頃に始まり、生涯を通じてスピリチュアルな体験をしました。彼が40歳にさしかかった西暦1900年頃、当時の住居だったベルリンの神智論学会へ招かれ唯心的な事象について教鞭をふるいました。聴衆は彼の講義を気に入り、アニー・ビサントは神智学会のドイツ支部会長を依頼しました。シュタイナーは神智学の方針に従うのではなく、あくまでも彼自身が体験した事を教えるという条件で承諾をしたのです。
 彼の講義は他の神智学者の講義とは何かが違いました。特にアニー・ビサントとコロネル・レッドベターが若いインド人青年(後にクリシュナムルティとして知られた)をキリストの再誕生として世に紹介した後は、緊迫感のある空気が流れていました。そのとき既にシュタイナーはキリストを体感していたのです。彼はキリストの化身は一人しか存在し得なく、もう現に存在したので再度起こり得ないと感じました。そして彼は神智学会との関係を断ち切り、人智学会を始めました。
 神智学と人智学は西洋で起きている事への見解という点では似ています。19世紀後半はダーヴィンの進化論、科学技術や唯物論的哲学が主流となりました。西洋にあった精神と宗教の伝統は侵食され、霊的意識は失われました。
 神智学会は1875年に東洋(特にインド)からの精神論的な概念と理論を西洋に取り入れることを目的に設立されました。アニー・ビサントとマダム・ブラヴァッスキーはヒンズー教の概念、仏教の概念、瞑想習慣、ヨガと他の要素を取り入れる事において多大な影響力を発揮しました。欧米全土には神智学センターが存在しました。彼らと同じくシュタイナーは物質主義と定命説に否定的でした。彼は18歳の時にほんの一瞬だけ叡智的な師匠に遭遇しました。




彼の叡知的師匠とは誰なのでしょうか?


 シュタイナーはその一度だけあった師匠を「M」と呼んでいます。シュタイナーはその師匠に聞きました。「私は何をすればよろしいのでしょうか?」するとMは「物質主義のドラゴンと闘いなさい。」と答えたのです。その答えはシュタイナーの人生目標でした。そしてシュタイナーが「どうやって闘うのですか?」と質問すると師匠は「ドラゴンのお腹の中へ行きなさい!」(物質的な世界観を理解した上で!)そして「角を用いて世の中の意見の矛盾を取り除きなさい!」(宇宙と人間の叡智的視野の教育者として世界に立つのです!)と答えました。
 私達の現代文明の全ての見解は人類の物質的理解に基づいています。シュタイナーは人類とその宇宙精神の精神的視野に教育、農業、医学、その他を与え、
それらをどのように人間の叡智的理解と共に変換させるかに努めました。
 シュタイナー教育とは人間の叡智的理解を基盤とした教育のあり方です。




多くの人がシュタイナー教育について知っていてシュタイナーは学校教育だけに関わっていたと思っています。彼の他分野での影響は何がありますか?


 ホリスティック医学的見解の人智学の延長線上にある医療があります。様々な芸術療法と他のホリスティックかつ浸潤性のある療法とミネラルや植物から作られた有効な治療薬があります。外科医は全員、シュタイナーの自然治癒理論を更に何年も研究した熟練の医学博士達です。またはキャンプヒル運動により主に続けられてきた研究進展への挑戦を兼ね、ダウン症や自閉症といった疾患を持つ患者達を診ました。世界には村民(障害のある人たち)が「同僚達」と健康維持に役立つ生活を共に分かち合いながら共同生活をしています。そこで働く「同僚」は村民達が障害を克服し、幸せに実り多き人生を送る為の手伝いをしています。
 他にシュタイナーが影響を与えた分野は芸術でした。彼は有機機能性建築と呼ばれる建築様式を生み出し、偉大な建築家達へ影響を与えました。彼は絵画や演劇にも影響を与え、更に4作の「神秘劇」を完成させ、その演劇は現在も毎年スイスのドルナッハで上演されています。彼には社会組織や経済についての考えがありました。シュタイナーは人類の発展と生活の実質的な全分野において独特かつ斬新に伝えたい事がありました。




それに対してGOはどのように反応しましたか?
 
 そうですね。その事に関しては私の最初の著書で述べています。GOが欧州に住んでいた1956年、彼は人智学者により運営されていたホテルに滞在していたのです。彼は壁にあるシュタイナーの写真を見て彼が何者であるかを尋ねました。宿主はGOにシュタイナー(1925年没)と人智学について話しました。そしてGOはドルナッハへ行き、フランス語でシュタイナーの本を読みました。そして後に彼は西洋で真の精神文明に出合ったと述べています。




GOの主張は何ですか?もしシュタイナーの主張が精神的理解による文明の更新だとすれば、GOの取り組みをどのように説明しますか?
彼は似た見解を持っていました。両者とも人類が個人と社会的健康または「完全な健康」に達成する手助けをしようとしていました。食物は日本の伝統文化を最大限に引き出し、更新と発展をさせる為の手段だと力説していました。長い間教えてきた人生を通してGOは病人と接する事が殆どでした。彼等はマクロビオティックに惹かれました。なぜなら時には病気や困難が想像を絶するものであったからです。GOは自分自身の教授法をそのレベルまで持って来ざるを得なかったのです。彼が7つの法則(感情、美学、精神など)について語るとき、その主な中心は食べ物と食べ方の話でした。




マクロビオティックを実践されている方でシュタイナーの本を読んだ事のない方にはどの作品を勧められますか?


 インターネット上のシュタイナーに貢献された沢山のウェブサイトから情報が沢山得られますよ。グーグル検索で「ルドルフ・シュタイナー」若しくは「ルドルフ・シュタイナー アーカイヴ」と入れるだけです。また書籍も沢山あります。シュタイナーは40冊の本を執筆し、約6,000回の講義を行いました。ほぼ全ての講義は速記、清書され書籍化されました。シュタイナーの文献は全部で350巻以上になります。
 4冊の本には彼の世界観が書かれています。その1冊が「Knowledge of the Higher Worlds and Its Attainment」です。最初のパラグラフでシュタイナーは「世界の頂点を悟る能力が全ての人類に潜在する。」と述べています。この本は高い悟りと認識を開拓するためのガイド的な書籍です。そして「神智学」という本は自然と人間の運命への彼の見解が書かれた入門書です。他の基盤となる「Occult Science, An Outline」という文献には「神智学」の中でも言及されているようにこの世界と人類がどのように誕生したかが記載されています。かなり宇宙的ですね!そして「Christianity As Mystical Fact」ではカルマや輪廻天性を含む、宇宙的なキリスト観またはシュタイナーの奥義について解説しています。これは伝統的で主流なキリスト教の教義からは幾分と異なります。シュタイナーには産まれた時から自然透視力が備わっていました。彼は魂の現実を察知し、死人の魂やオーラを見ることが出来ました。彼はローマカトリック教会で洗礼を受け、公には一度も教会を離れませんでしたが、彼のキリスト教と教会に対する見解はとても批判的なものでした。世紀末頃、彼は自身の中にキリストが降臨する経験をすることで、キリスト生誕は人類が進化する為の中心軸であることが明確になったのです。




最後の質問です。人生にはどのような意味があると思われますか?


 そうですね。自分を満喫し、楽しみ、人間である事やこの世界の美しさと謎を嗜むためにあると思いますね。そして明るく前向きな意味で精神的、秩序的、社会的、知的、実用的、技術的、感情的、身体的であると行った全ての私達人間の持つ許容を発展させる事に対する約束でもあります。ルドルフ・シュタイナーは美しい考えの持ち主でした。彼は今この時の各々の最初の挑戦が私達を自由へと導き、自己愛から脱却させるのです。言い換えれば自身のエゴイズム、自分自身の興味を捨て他者へ無欲を与える喜びを見つけるのです。人間であるという事は慈悲と感情移入と愛情の許容量のレベルを発展させることなのです。


美しい話ですね。ありがとうございました。



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Spiritual Development(精神の発達)」は日本CI協会・編集部が和訳したものです。


GOMFの連絡先は下記となります。

英語版を読みたい方は下記のウェブサイトをご参照ください。






2012/02/02

陰陽と身体

運動という行為は陽性であり、陰性過多にも陽性過多にも良い。

人間は動物の一員であり、よく動くことで宇宙の秩序に調和することが出来る。

そうじ、ウォーキング等、その動作は陰陽をくり返している。

昔、緊張すると貧乏ゆすりをする野球の監督がいた。

好ましいことではないが、彼はそれで良い知恵を出した。

西洋人は物事を考える時に机の周りを歩き回る。

冬に厚着をしていても、太陽のあたたかみを皮膚に感ずることが出来る。

肌が熱くなることは太陽光線の紫外線の陰が皮膚の陰にぶつかって起こる現象である。

私達の身体は陰陽で構成されており、その陰陽判断は自分でするしかないのだ。

陰陽は冷暖自知。

体験して初めてわかるもので、自学自習は欠かせない。

2012/02/01

ニューヨーク講演⑧桜沢如一

ニューヨーク講演⑧桜沢如一

幸福の条件

桜沢 ところが海はどうです。全部それを受けいれてそしてきれいに浄化して、そして銀鱗の光る魚だの珊瑚珠だの美しい真珠だのをこしらえる。海には不思議な力があるのです。それで“うみのおや”というのです。あるいはわだつみと云う言葉がある。我が海ということなのです。日本語で昔わだつみといっていたのです。そんなわけで、この塩の必要さということはもう重大な事なのです。だから結論を申しますと、人間の体に病気が宿るとすればどんな病気でもあれ、それは塩気不足であるということです。

だから大神宮様でもどこでも皆塩をお供えするでしょう?最高のお供え物は塩と玄米。ところが塩なんてとっても安いものだと皆思ってしまってますが、どうしてどうして生みの親なのです。海に不思議な力があるのは塩のおかげなのです。塩というのは海を結晶させたものなのです。だから塩がなかったらこの世の中では何にもできないですよ。その反対を最も特急でやったのがオイサキさんですね。塩を消してしまうものばかり、水だコーヒーだ紅茶だ砂糖だオレンジだってね。それで生みの親から見放されたのが現状なのですね。それでもう目が見えないというところへきているのです。ところが今、ひるがえってもう一度、海の親に感謝するという気持ちが沸いてくると、奇跡ですね、ばーっと治りますからみててご覧なさい。

これはね、私の話ではないのですよ。これはケント博士がそういったのです。昔から日本とは古事記ではおのころ島といって塩の固まった国のことをさしたのです。キリストでもそうですよ。「汝ら地の塩たれ」といったでしょう。そういってキリストでは塩を非常に尊んだのです。ところが今の宣教師やプロテスタントの連中が蕃地へ行ったりアフリカへ行ったりコーヒーとかチョコレートを出して皆にやっている。だからちっともなおりゃしない。キリストのマタイ伝の十七章の十節二十節二十七節までよんでごらんなさい。どれくらい簡単に病気を治しますか。

薬も何にも使わないで。この方法をやったのです。塩をやったのです。だから絶えず塩の事を説いていますよ、キリストは「汝ら地の塩たれ」とね。えらいものですね。そんなわけで決して私が判断を皆さんに押し付けている訳ではないですよ。そうでしょう。そこで皆さんの判断力ですね。われわれの判断力で一番低い判断力はなんですか?一番幼稚な判断力は?

―食べたい・・・。

桜沢  ハハハ。もっと低い・・・もっと低い判断力・・・。

―飲みたい・・・。

桜沢 もっともっと幼稚な・・・。

―眠たい・・・。

桜沢 ハハハおもしろいね。赤ん坊は産まれて二十、三十時間の間、判断力なし。何にも呉れともいわなきゃ何にも云いません。二、三十時間たつと初めてお乳がほしいのですね。捜し出すでしょう。このときには判断力がはっきりあるわけではないのですけれども、なんとなしにお乳を探すのですね。こういうのが一番低い判断力です。それは二、三日たつと今度は少し伸びて来ますと、感覚で物を判断するようになる。甘いとかまずいとか、苦いとか辛いとか暑いとか冷たいとかね。これが第二段感覚的。その次はちょっと進歩しまして、これはだいたい一年か二年たってからですがセンチメンタルジャッジメント。

センチメンタルな判断力。あの人は好きだこの人は嫌いだなどといいますね。そういうのです。お解りですか?これが伸びてくるのは、伸び出すには二、三年からですけれども、もう二十になっても三十になっても四十になっても伸びて行くものですからね。止まってしまっても都合が悪い。例えば今大きな政治家で岸さんだとかいるでしょう。ああいう人でもだいたい第二段階の判断力で止まっているのです。ただ政治が面白いからやっている。ひどいのになるとお金が欲しいからやっているというのがあるのですね。なぜお金が欲しいかというとそれで甘いものを食ったり女を買ったり楽しい目をしたり、家を建てたり結局感覚を喜ばしているんでしょう。これは第二の判断力の人でね。どんなにお金があってもここに止まっている人がたくさんいる。ロックフェラーにしてもね。

それから第四。これはインテリですね。知的判断。日本語でいうと知性ということですね。それからここではセンチメンタルは感性。それからここでは感覚。それから第五判断力。第五判断力になってきますと今度はソシアル、社会的ですね。社会性の判断。この社会性の中には宗教的なものと経済的なものと二色ある。それから六番目。これはイデオロギー。キリスト教である、仏教である、あるいは共産主義であるなど、主義ですね。主義的なもの。これは一番高い判断力。ところがその上に全然別格の判断力がある。七番。これはシュプリエム。シュプリエムジャッジメント。最高の判断力。例えば英語では困ったことにラブとういう字はひとつしかないのです。例えばアイラブジスガール、アイラブジスマン、皆第二判断力です。

アイラブジスビューティフルウイメン、ここでアイラブ、センチメンタルだからアイラブマイサン、アイラブマイファーザー。これはもう感情ですね。その次はアイラブ、オア、アイライクトマテック、アイラブミュージック。よろしいですか。これらはインテリ的な愛です。その次にはフッシャ―マインド。弁護すること、アイラブピースなんてのはね。どこまでもラブとひとつでしょう。ところが日本語ではそれはいけないですね。日本語ではここだったらですね。惚れると言いますね。惚れ込んじゃった。ここだったら好きになった。慕わしくなった。ここになると好むといいます。我、学を好む。ここになると我、禅を楽しむというんですね。

それからイデオロギーになると義なのですね。あるいは仁なのです。この七番になるとこれはもう西洋にないですよ。この言葉は。意外なことにね。これはもう全てのものを愛するのですね。これを慈しみ悲しむという。慈悲。どうですか。こんな立派な言葉がありますか。英語にフランス語にドイツ語に。どこにもありません。皆ラブです。犬のラブも妻のラブも金のラブも神のラブも皆いっしょくたなのです。こんな立派な字はないのです。慈しみ悲しむ心。哀れ不憫と思う心なのですね。偉い違いですよこれ。ラブガールなんてとんでもないですよ。

とても仏教の深さにはかなわないですね。なんといっても二〇〇〇年、三〇〇〇年の歴史があるのですからね。そこでこの感覚をとりだしたやつですね。これはうーんととことんまで愛しますと惚れますと終いに憎になるのです。恋しさ余って憎さ百ばいなんて・・・。だから愛と殺人とは一面なのです。こちらが愛ならこちらが殺人犯。その次のこれもそうですね。センチメンタル。これもまぁ好きなんですけど終いに嫌いになってしまう。非常に好きな人がいてエンドレスチアル。これを忌むことになる。忌み嫌うことになってしまう。忌むのほうがもっと陰性なのですよ。ソシアルの場合でもね、善人が善をしているでしょう。一生懸命を積んでいると終いに悪になってしまう、必ず。

それは仮に貴方が百億円をもっているとします。それを全世界の人にあげるとします。そうすると一人にわずか十円か二十円しかならないですね。それもばら蒔くだけでもたいへんなことでしょう。大きな会社が必要になってきます。しかもそれをもらった人はなにをするか。ろくなことはしない。ビタミンを買ったりウイスキーを飲んだりね。あるいは貴方がもうこれはビタミンに限るといって皆にビタミンをばら蒔いたとします。するとビタミンは酸性なのですから全部の人に満遍なくそれを一年、二年食わしたらもう皆死んでしまいますからね。非常に悪いことをしたことになるのですよ。善人だなんてね。だから親鸞聖人は「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」と言っている。善人の方がよっぽど悪いのだから。

そんなわけでイデオロギーにしてもマルクス、レーニンみたいにえらいことになってしまいますよ。一生懸命にイデオロギー調べたのはいいけど。今全世界の二十七億のうちで十六億までは共産党になってしまいました。今度月の世界にロケットを打ち上げたのでもう永久にアメリカはおいつきません。この点ではね。そんなに偉い共産主義ですけれどもレーニンもマルクスもスターリンも皆最後は悲惨でしたね。ところがお釈迦さんもキリストもやっぱりその当時イデオロギーの段階につかまっていた間は不幸だったのですよ。キリストなんかそれが為に磔になったのです。

お釈迦さんはそういう悲劇的な最後はなかったですけれどね。それでも随分すったもんだがありました。長い間もめました。特にマハ―ビラだのジャイナ教だの、ヒンズー教から非常な迫害をうけたことがある。そのようにどこへ行っても必ず裏があるのです。善には悪があり賢いのには馬鹿がありね。賢い人ほど馬鹿なのですよ。例えば経済学者なんてのはね、とても金の事に明るいかと思うと皆貧乏してますからね。経済学者ってのは、不思議なものだね

皆裏があるのです。例えば今平和主義者というのが非常に多いですね。戦争反対論者。ところで「貴方は何故戦争に反対ですか?」と聞いてみますとたいていの人は「私はハワイで主人を戦争で失った、私はかわいい子供三人もとられた、四人もとられた。おまけにわたしの家は焼かれてしまった」などというのはもうざらです。今、ヨーロッパへ行きますとね。だから私は平和主義、戦争反対。ところがそれはここの最上の慈悲から出たものなら、それは助けてやる必要があるでしょう。

でもこの辺で苦しんでいる奴はほっといていいのです。ちっとも助けてやる必要はありません。私は四十八年間これを説いて来まして嫌になってしまったんですな。本当に助けてあげて良かったと思う人はまれですね。たいていその「痛みが治った、このご恩死んでも忘れません」なんて、死んでも忘れないということはつまり帳面につけてあるという事でしょう?これは絶対に返さないということなのですよ。「絶対忘れません」て、こんな人ばかりですね。特にヨーロッパの人に多いです。ところがその自由主義のがりがりの西洋人の中に、時々名もなき人で五百万円、一千万円呉れる人があるんですよ。不思議ですね。

もう実際なんとも言えない有り難いですね。もう未だに私についてどこまでも行こうなんていう人があります。ここでも一人見つけましたよ。これはアメリカ人でね。貸せば今三百ドルの家賃が入ってくる五部屋ある立派なリバーサイドドライブの大きな家ですが、そのアパートを売って貴方の行くところへずっと付いて行こうと思っている、なんてそういうことを言っている人がいます。でもその人はまだ第二判断力にいるのですから危ないのですがね。裏がありますからね。

―博愛とどのくらい違うのですかね。

桜沢 博愛と云うのはこれ、センチメンタル。これは第三判断力ですね。これはフランスでは最高です。アンドフリーダム。みなここのところ。ここまで来ていません。だから東洋ってものは実に深いのです。ただ我々は知識にしちゃっているから駄目なんです。どんな宝でも持ち腐れじゃ仕様がないですよ。それでこれからこれを自由自在に使いこなす方法を申しあげましょう。どうです関さん、なんかこの段階(団体?)についておかしなところはありませんかね。これはまぁ私がいろんな本を読んだあげく、これはこれ、これはこれと云うふうに勝手に組み立てたんですがね。まぁ結局仏教などの本には皆こんなふうに説いてあるとおもうのですね。慈悲というのが一番です。

仁義なんていうのは第六判断力なんですよ。だから老子はですね、「大道すたれて仁義おこる」と、こう云っています。大道というのは第七判断力なのです。一番大きな道なんですね。慈悲の道。「大道すたれて仁義あり」仁義が起こって来た。それで医者は仁人であるとか医は仁術であるとかキリストは仁人であるとかいうようになった。これみなここの事なんです。それでおいおいと組み立ててみて結局こういうふうになったのですね。私はこれ戦争前ですから三十年ほど前にこういうものを組み立ててみて、それから長い間寝さしておいて尚も尚もやって、そして二十年ほど前からこれを一般にお話ししだしたのですが、今日までのところ未だ訂正するところがでてこないですからね。それで人間はここへ行けばもう幸福になるのです。

慈悲心が沸いて来れば。ところが好きだ好みだ、嫌いだ惚れたなんて云っている間は必ず裏が来るのですよ。どんないい旦那さんでも、それはもう駄目なんです。決まっているんですから。皆さんあの岩波と云う人を御存じでしょう?岩波書店の岩波茂雄。これは偉い人ですね。三十で古本屋を始めて三十七、八であの岩波大書店を造り上げて、そうして勲章だ勲三等だなどたくさん貰ってね。世界でも一個人であれだけ大きな文化事業をなした人はないと思います。ところが何と三十七、八から奥さんと別れている。別居している。三年に一度くらい一緒になるけど三日ぐらいするとまた別れる。とうとう死ぬまで家庭の安楽や楽しみを味わわないまま亡くなってしまった。

しかも六十五で死んだのですよあの人は。その苦労を読んでもう実際俺はなんて馬鹿なんだろう、六十八にもなっていながら岩波程の資産もできていない。これはえらいことになったと思ったのですがね。しかも岩波さんはその間に奥さんと一緒にいないでしょう。しかも熱情漢だから何人、何十人の女ができているのですよ。もう家庭生活は悲惨なものです。これでもまだその奥さんが岩波を離してはいけないと思うものだから、とうとう死ぬまで離婚を承諾しなかったのですがね。悲惨ですね。ただ子を孕まされにきたようなものです。子供の世話だけで主人の病気の世話もしないですよこの人は。

―そういうのは原因は・・・。

桜沢 これを知らなかったのですよ。あの人はこことここの間で生きていたのです。あの人にとってもこの文化というものが最大のものだったのです。文化というのはインテリクチュアリティなんです。ここに彼の欠陥があった。ここに日本の教育の欠陥がある。だから今アメリカで一世として四十年、五十年いる人で大学教育はおろか小学教育も受けた事がないような人の中にずーっと上の慈悲の心をめざして走っている人がいます。例えばロサンゼルスの石塚さんと云う人がいます。ご存知ですか?

―名前は知っています。

桜沢 もう五十年もいる人だね。もう人のためばかり尽くしている人です。それでも石塚さんは良い事ばかりやっているのになんだか不安だというのです。これで人生というものはいいものだろうか?もうホテルも二軒も三軒も持っているし、何にもお金に不自由はない方です。それでいて若いものの世話ばかりしているのです。

ここにいるレキシントンアヴェニューの店。やっているのは佐藤というのですがこれも。それからエイトアヴェニューでやっている銀座。これもみんなここで御厄介になったのです。特にこの佐藤なんかは石塚さんの奥さんにパンツのお尻の継ぎまでして貰っているのです。そんなに世話をしていてまだこれで良いのだろうか、なんとなく寂しいと云うのですね。これがはっきりしていないと駄目なんですよ人間は。この段階をはっきり見定めて、あそこまで行かなければ行けないのだということが分からないと駄目なのです。

―石塚さんは宗教心もあるのですか?

桜沢 あります。大変あります。

―それでもやっぱりそうですか?

桜沢 信ずるというのはイデオロギーなんですけれどね信仰ですから。けれども、そのイデオロギーなるものを完全に日常生活にこういうふうに取り入れろと云うことを教えてくれる宗教家がないのですよ。それが駄目なんだ。病気はこうして直すんだ。厄介な奴が来たらこうして宥めるんだというような、これの利用法を教えてくれる人がないでしょう。

そして、皆おまえこの世の中は苦しいんだと、死んだら極楽に行けるんだからまぁまぁとね。死んでから極楽へ行くんだと言うんです。それならもういやになりますね。昔僕はね、三十五、六年も前ですが一灯園で西田天香さんをお助けしました。一灯園で夏の集まりに来てくれと言われてね。七〇〇人から一〇〇〇人ぐらい全国から集まるのです。それではそこの食事を私にさせるかというと駄目だというのです。そこで私はここの研究生で森山シマという栄養学の先生を連れて行き「今日から玄米です。

野菜は一切買いません。もちろん鳥魚肉卵絶対に買いません」「何を買うのですか」「あそこに生えている草取って来なさい」ということで、庭にいっぱい生えている雑草を料理して食べさせたのです。そうするとご飯が二斗程はいる大きなお鉢が二十ほどあるのですが、それがすっからかんになってしまうのです。ところが玄米を始めてひと口五十回噛みなさい、話もしてはいけない、とやったところご飯が半分になってしまった。天香さん、びっくりしましたね。家は金持ちなんですねなんてね。家の庭の草で皆たべられるのですからなんてね。

それを二週間やりまして天香さん、びっくりしていました。そこに一人の惨めなお婆さんが台所で働いていました。「私は金は無し、主人は無し子供が一人いるが唖で聾だ、この世に何の楽しみもない。お金を十万もらったって駄目。どうしたらいいでしょう。天香さんはこれも前世の因果だからあきらめなさい。来世は良くなるというけど、どうしてもあきらめられない」というのです。それでは僕のやることをやりなさいといって食養をやらしたら、一か月でその子の聾と唖が治りました。夏の集まりでしたがある日「あちゅい」といったのです。

―その子はいくつぐらいですか。

桜沢 九歳ぐらい。今なら三十九ぐらいになっているでしょう。それがわたしが唖聾を治した一番初めでした。それからはもう何百人治したかわかりません。慈悲の心がこもればなんでもできます。それがなければ百万長者でもだめで岩波さんのようになる。奥さんの良子さんも二人とも不幸せなことですね。ここの名士、百貨店を造った人達も一代きりで後はすっかり人のものになってしまった。悲惨なもの。真珠王の御木本さんもこれでおしまい。

私は四十八年間、いやというほどいろんな家に呼ばれて行きまして見て来ましたが、本当に幸福な家というのはありませんよ。インテリで幸福な人というのは少ないですね。主人と妻が必ず反目していますね。悲惨なものです。この判断力をどうしたら最後まで上りつめますか?これが仏教の教えなのです。仏教というのはそういうものです。キリストもそうなのですけど仏教にはかなわない。

今仏教よりも有効なヒンズー教ジャイナ教というのがあります。これが全インドを占領しています。もう仏教なんてインドには一つもないのです。ひとにぎりなんです、仏教徒はね。仏教徒は日本だけです。ところがこのヒンズー教もジャイナ教も全部堕落してもうこのへんに降りて来ている。特にセイロン島の仏教のごときはこのへんにまで降りている。私はここへずーっと飛行機で飛びあがる方法を教えて回っているのです。それが今日のお料理なんです。あんな安い物を食ってここへひょっと行けるんだからまるでジェット飛行機みたいなものじゃないですか。どうですか、ちょっと喉は渇くけど。

これが私のねらっているところですね。ここまで行きますとね、例えばここで科学を勉強しようとするでしょう、現実的に医学などいろんな学問をね。その学問を研究した人が「我々は何にも分からなくなった、この世には原子と云うものがあると思っていたけれど、今では雲をつかむようなものになってしまった。原子というのは最小の物質の元だとおもったら、それは全く空空漠漠たるもので、大きな宇宙みたいなもので中に何にもない」というのです。失望ということが言える。ところがそこまで行くのにはとても大学を出て五年十年の年期では駄目で、アインシュタインのようにオッペンハイマーのようにあらゆる苦労をして来なければいけない。ところが食養によってここへ行くと一遍に皆分かってしまう。

何でも答えることができるようになる。今の科学者のだれにでも聞いてご覧なさい、「これなんですか」といってね。卵だというでしょう。卵じゃないのです。次にどれがメスでどれがオスかきいてみてください。もうきまっているのですからね。どんな科学者も答えられない。これを知っている人は皆言えます。この卵については二十五ほど問題を考えていますが、どれでも答えが出来たら偉いものです。コロンブスがこの卵をしばらくこうして板の上に立てて置けるか?といいましたね。絶対に出来ないですね。そしたらコロンブスは、ではこの先をちょっと割ってとね。それはもう卵ではない。

割れているのだからね。私はこのままでやってごらんなさいと言っている。これをやる方法が五つ六つあります。その次にオスかメスか。オスかメスかがわかるなら、どうしたらメスばかり産ませられるか、オスばかり産ませられるか。それも分かるはずですね。そのつぎにこれを茹でて黄身だけ固く茹でて白身は茹でない法はどうしたらよいか。あるいは白身だけ茹でて黄身は茹でない。なんだかんだと、たくさんこんな問題があります。ところが実際はこれは卵ではないのです。今買ってきて貰ったのですがね。全部ニセ物なんです。

これを鶏に抱かせるでしょう?そうすると腐って硫化水素という臭いものがでるだけでひよこはでてこない。そこらで売っているのはみなこれです。何にも選択無しに箱の中から取ったものです。本当の卵だったら必ずひよこが出て来てぴよぴよ鳴くのですが。つまりそれには生命力がある。これには死しかない。生命力がない。だからこれを毎日フライドエッグ、ベーコンエッグなんて食べてる人がたくさんいますね。毎日少しずつ少しずつ死というものをインポートしている。

それが厄介な精神病になるのです。生きているのだか死んでいるのだかわからないことになっている。恐ろしいものですね。お金を出してまで死をあの世から買ってくることはないじゃないですか。あなたがたもこれから皆、判断力がついてくる、つけば市場に行ってもこんなものはとってこないですむ。これしかないのです。たまにはありますけれどね。こわいものでしょう?私は善人だ何にも悪いことはしていないなんて、毎日毒薬を食べているのですね。これが罰なのです。罰は無知に当たるのではなく食べた事がもう罰なのです。判断力が無いと言うことが罰なのです。ところがこのアメリカでは物を考えるということはしないのですね。物を考えるのは医者だの弁護士だのいろんなのがいるのですね。そこへ行って聞けばよい。だから辻占い入りのせんべいが売れます

ホロスコープというごつい雑誌がでてますね。驚いたことにあれば雑誌ではなく辻占ではないですか。毎月出る雑誌ですよ。恐ろしい迷信の国ですね。自分の運命を人に聞かなければ分からない・・・自分の運命は自分で作るべきものでしょう。今となってはオイサキさんでも自分の運命は自分が作ったのだということはお解かりになるでしょう?誰でもそうですよ。自分の運命、孝不孝というのは自分が作ったものなのです。どうです、これでも私が無理に私の判断を押し付けていることになるでしょうか?

―不孝な境遇から押され押されて而してその自分の境遇とかなんとか云うのでは無いのですか。

それは偉大な判断力をもった人ほど不孝な境遇から出てくるのです。一人でもそういう人がある以上、境遇によって不幸になったという人はやはり、判断力が悪かったということです。だからこの米国で生きていると世の中の奴は全て判断力が無いです。日曜日の新聞を見ると分かるのですが、広告ばかり二〇〇ページもある。絵入りが十四ページありましたね。この間私が買ったのには

つまり字を読むのが面倒くさいのです。絵を見て楽しんでいるのですね。映画に行くとマンガをみて喜んでいる。くだらないディズニーのマンガだとかそれでなかったら西部物のギャング物。考える事が出来なくなる。ポンポンポンとこれが一番良いですからね。はっきりして・・・だからこの国でこの判断力をもってこの仏教の原理を握ったら、もうあなたがたはロックフェラーのためにも、フォードのためにもみんなお参りに来ますよ。一か八かやってみませんか。金は要らないんだから。金は玄米を食うための一日二十銭があれば良い。

―宗教の本を読むのはいかがですか。

自分で自分の運命をクリエイト出来ない、自分の運命が切り開けないなら。そのカギがここにあるのです。これをキリスト教ではキーオブキングダムオブヘブン、天国のカギといっています。我汝に天国のカギをあたえん、汝ら地にて住むところは・・・なんて書いてありますが、このことです。つまりキリストと云う人は東洋の西の外れに生まれたのですが、やっぱり東洋の空気をちょっと吸ったとみえて仏教で説くようなことの端くればかり説いているのです。そこでこれだけひとつよく覚えていてください。皆さんに上げた表の中にありましたか。ありませんか。判断力。これ一番大事ですからね。

そして急行でこれまで上がる方法ね。それをこれからここでやるのです。それには今、お話しし始めた色から入るのです。色、分かりましたね。次は水、分かりましたね。塩、分かりましたね。塩は陽性。陰性なものを食べても害がないように塩を効かせたらいいのです。ジャガ芋にしてもミカンにしても何でもね。陰性の物を食べないに越したことはないがどうしても食べたくなったら少しずつ塩をつけて食べる。あなたがたの息子さんたちで科学をやった人が文句いいますからね。そういう人にはホタシオンというのが多いほど陰性でソデウスナトリウムというのが多いほど陽性なのです。これは学者やお医者さんに・・・そこから形はこの間お話しましたね。木だ草だの竹だのとうきびだの長い物はこれですね。

だからここにこういうものがあるでしょう?これは縦も横も同じですね。これ陰陽円満の相です。ところがここに陽性の物が加わるとだんだん平べったい伸し烏賊のようになってしまうのです。こういうのは全て陽性の物にたたきのめされた格好です。それとは反対にこれは陰性の力が大きくてどんどん引っ張られて高くなってしまう。つまりこの力が陽性の力の終点でありこの力が陰性の力の終点なのです。これを二つ合わせるとこんなふうになって、すべての宗教の最高のシンボル。

キリスト教にしても仏教にしてもマホメッド教にしてもどんな宗教でも十字です。とくに仏教のごときはこれにもっと輪をかけて・・・ほんとう十字ですけれどね。それでもうこれだけで陰陽は分かった訳です。ただこれからこれを実行していくのです。例えば紫色の一番ひどいものはなんでしたっけ?茄子。それから葡萄、無花果ジャガ芋。ジャガ芋に芽が出るでしょう?小さな物ですがひとつ食べてごらんなさい。楽に死にますから。

これはソラニンという毒がはいっている。アルカロイドのね。二百貫もある牛でもこれを食べたら倒れてしまう。小さなかけらでも食べたら胎児が殺されてその晩に流産するか翌日流産する。こわいものですね。それからタケノコの一番先のほうね。タケノコというのはみんな紫なのですが先のほう三寸ぐらいの柔らかい所を毎日食べますとたいていの弱い人は三日目か四日目に喀血します。腸の弱い人だったら腸出血。憎い奴がいて殺したいと思ったら人なんか使わないで、嫌疑を受けないで殺人をやってのけることなんかなんでもない。この旦那、嫌になったななんて思ったら訳は無い。これで陰陽は分かりましたですね。それでもう一つ、産地によるのですね。

寒いところで出来る物ほど陽性、寒い季節に出来るものほど陽性。これはイチゴ。今が旬です。これは七月八月になるとなくなってしまう。陽性だから寒さには耐えられなくて姿を消してしまう。えらいものですね。それから暑いところに出来るものほど陰性です。バナナ、ミカン、パパイヤ、マンゴーなど熱帯地に出来る物は全て陰性です。仏教でも熱帯に出来たでしょう?だから陰性でしょう?実に陰気なものですよ仏教ってなものはね。それから精神的心理的産物までがこの陰陽の法則にしたがっている。非常に重大な事ですが何か質問はありませんか?

―暖かい所にすんでいる人は暖かい所で出来る果物を食べると病気になるのですか?

桜沢 それはたくさん食べるとね。その土地で神様が与えるだけのものを食べていればいいのですが、肥料をつかい増産をし殺虫剤を使って増産をしているでしょう。それで皆がたくさん苦しむのです。自然が与えてくれるだけのものを食べているだけなら絶対に病気にならない。

今アメリカではほとんど肥料の増産ばかりでしょう?ポリドールだのなんだののおそろしい薬を使って殺虫しているでしょう?一番長命で健康で賢いのはソビエト人でしょう今は。支那の四〇〇〇年の歴史をご覧なさい。四〇〇〇年間で南が北へ攻めて行って滅ぼしたことは一回もないのです。いつでも北からなのです。だから北に負けると書いて敗北という。

―詳しいことは知りませんが・・・。

桜沢 これはごく寒帯で植物が無いのです。しかたなく魚ばかり食べている。その結果文化が発達しないのです。実に平和な民で日本人と同じ容貌をしています。きっと昔は一緒だったのでしょうね。

―ソビエト人種が長寿の理由は?

桜沢 菜食人種。

―あまり正食したりしていないでしょう?

桜沢 肉食なんて実に少ない。もう零下五〇度の吹雪の中でアコーディオンを弾いて手袋もはめていないで踊っているじゃないですか。すごいものです。しかも彼らの踊りというのは足の踊りばかりでしょう。大変なダンスですよね。日本のは手踊りといってこんなことばかりやっていますがね。陽性の踊りです。足は一番下ですからね。一番上は陰性ですからね。それでは良くひとつ、お考えになってくださいね。まずいろいろ問題をもって来てください。町を歩いても人を見ても陰か陽か自動車に乗って運転手をみても陰性か陽性か急ぐときには陽性に乗ったほうが早いですよ。

急がないときは陰性に乗ったほうが安心ですよ。私は今申し上げたが、五歳の時に第一の不孝に会いました。父親に別れた。それからずーっと母親一人で子供を四人養うのをみて、私は飛び出してしまった。十歳から私一人で弟と妹をみました。それから十六歳から病気で死ぬか生きるかね。それで私はどうして母親が三十になるかならないかで、子供を残して死ぬなんて残酷な事があるのだろうかと、これをなんとか究明しなくてはならないと子供心に思ったのです。

(つづく)
199411月号No.686


ニューヨーク講演⑦桜沢如一

ニューヨーク講演⑦桜沢如一

幸福の条件

桜沢 翌日行きますと昨日から今日まで二十四時間の間、砂糖はひとかけらも取っていない、といって毎日報告するのですね。それでグングンよくなって来ました。ところで四日目に鼻血がでたというのはそれが最後だったと思うのです。脳溢血なのですね。これが中ででていたら脳溢血なのですね。それが八十六ではもう助かりませんわね。それがここへ出て来たのです。それで助かったのです。

-鼻血はどうして止めますか?

桜沢 あぁそれはね、番茶に量の五パーセントの塩を入れるのです。ちょうどこれだと三本の指で軽くつまんだ位の塩。これで五パーセント。それを鼻から注ぐのです。それで下でクチを開いていると皆下へ出てくる。何も紙を詰めたりする必要は無い。微温湯でいい。塩が止めるのです。愉快でしょうこれ。鼻血を止める方法はいろいろな手がありますけどこれは一番簡単で良い。塩水で良いのだから。

どこにでもありますからね。まぁみなさんもこれから毎日、胡麻塩をほんのひと包みでいいですからポケットにいれておくことです。どこへ行こうと船酔いしたり気分が悪くなったり、腹が痛くなったり、頭痛がしたりしたときにはいつでもそれをちょっとなめるのです。すーっと治りますからやってご覧なさい。頭がいたくなるって事は脳の血液が酸性になったということです。塩をいれるとアルカリ性になるのでいっぺんに消えてしまう。なんでもないことなのです。実に滑稽ですね。お医者さんが一番恐れるのは体の酸性化、血液の酸性化です。ところがお医者さんの勧めるビタミンは全部酸性です。むちゃな話ですね。医学って物は。

-先生、どうして自分の血液が酸性になったと分かるのですか?

桜沢 なんとなく疲れてきて積極性がなくなってくる。思想が悲観的になってくる。どうしても暗いほう寂しいほうばかり考えて、明るい晴れやかな方が考えられなくなる。そういう人がよくいるでしょう?何を言っても「そんなことを言ったって」と言って裏から考える人がいるでしょう。それから手足の先の血液の循環が悪くなって、寒い日など青くなってしまう。これは酸性になった証拠です。とにかく頭痛が一番悪い、頭痛はすべて血液が酸性になっている証拠です。

-先生、風邪を引くのは血液が酸性になっているということですか?

桜沢 そうです。酸性でない人はかかりません。絶対かからない。私は四十八年間・・・その前は死んでいたのですからね。十六、十八のとき、喀血ばかりして三つ大きな空洞があってね。私の母親は三十歳で死んだのですよ。私が十になったばかりでした。父親は私が五つのときに行方不明になった。私は天竜院に門前で行き倒れの女が産み落とした子なんです。ところが私は十のときから自活をしました。弟一人と妹二人を養ってね。母親は結核で死に弟妹も皆死んで私一人残った。この世でたった独り。ところが十六から結核。三年間吐き続けました。それでいよいよだめだと思いました。京都大学で親切なお医者さんがただで診てくれましたがね。そのうえ、胃が胃拡張で胃潰瘍で胃下垂。腸が腸結核で痔がある。

心臓が生まれつき小さくてガタッといっても具合が悪くなる。頭は禿頭病になってね。耳は中耳炎で目は近視で乱視でトラホーム。私がしなかった病気は婦人科だけです。それが治ったんですよ。それ以来、こういう講習などやっているときは、いつでも二十時間から二十二時間働きます。二時間ぐらしか寝ません。だから私の一生は普通の人の三倍から五倍生きたことになる。そんなわけで胡麻塩さえ取っていれば絶対心配いりません。一日ひとつまみ、ちょっとご飯にかけるだけで良いのです。胡麻塩というのは八十パーセントの胡麻と二十パーセントの塩ですよ。だからひと匙お取りになっても一グラムしか入ってないのです。血液が酸性になっていると人間はだめなのです。甘いものは一番きつい。その次は肉食です。動物性は全部酸性です。それから酸性で強い物、リンゴだのミカンだのスイカだの果物類がひどいですね。

まぁとにかく一番恐ろしいのは砂糖です。それから肉食。これが血液を酸性にする。わたしの知っているお医者さんで三十年間毎日クシャミをし続けている人がいます。第三高等学校の時からクシャミばかりしていて「あぁクシャミが来た」と看護婦などから言われてね。ところが四十何歳ぐらいの時にわたしの話をきいた。翌日からクシャミが止まってしまった。今でも生きていますよ。長崎の原子爆弾のとき、カトリック教の病院を守ったのはこの人です。この病院では一人も原子爆弾ではなくなっていません。町では十何万人殺されていますけれどね。真ん中にあった病院では一人も死んでいない。これ、塩のお陰です。

-クシャミも胡麻塩で治せるのですか?

桜沢 おもしろいでしょう?

-塩はテーブルソルトやなにか?

桜沢 海の塩が一番良い。海の水、粗塩が一番良い。だから伊勢の大神宮などの神様に供える塩は別のところからとって使ったのです。決して買った物ではない。

-ところで先生、西洋人は比較的日本人よりも砂糖を多く使いますし、そのうえ肉食を多くしますが・・・その割には死亡率が少ない・・・あるいは病気も・・・

桜沢 それはまぁ多くし過ぎて死ぬべき人を殺さないでおる。だからそういう人は生きていても甲斐のない人なのです。幸福でない人なのです。アメリカは廃人が非常に多いですからね。とにかく六〇〇万人の精神病者が入っているのですからね。世界中で一年に約九十万人が心臓病で死んでいる。そのうち四十五万人はアメリカで死ぬのです。ほかの国では二十万ぐらいなのです。だから余程ここではこれを注意しなくてはならない。これからとにかく全ての病気を吹き飛ばす方法を教えますから心配しないで。

-先生、私ここまで歩いてくるのがとても辛いのですが体の変わり目でしょうか?

桜沢 変わり目ですね、貴方のは。とにかく今日までの旧体勢を全部一掃してしまうのですよ。つまり八兆億ある人間の体の細胞を全部手術しているのです。入れ替えているのです。だからちょっと十日程つづきますね

-反動は起きることはあるのですか?

桜沢 たまにありますね。今日は二つ大問題がある。これは皆さんに答えてもらわなくてはいけないのです。ゆうべ、例によってたくさん来ていらっしゃったですが、その中に一人弁護士がいました。ミスターシンガーというアメリカ人です。この人は私が一月ぐらい前に会ったのですが「こいつは悪い奴だ」と思ったのです。ここに瘤があるのです。ただの肉ではないのですよ。骨が突起しているのです。ピラミッドみたいにね。それで「これをどうしたらいいか」というのです。あまり態度が生意気だったので「君ね、神様が分かったら治るだろう」といったのです。そしたら「神様って何だ」ってな訳で食ってかかってくるのです。

「そりゃ君、教会かお寺でも行って聞きなさい。それが分かったら僕が教えてあげる」分からないですよ。法律家というのは絶対神様を知りませんからね。そこのハワイの高等法院の裁判官で非常に有名なジャッキーハルと言う人ですが、この人がライフで四ページばかりの大きな論文を出して「私は一生をジャスティスとして過ごしたけれどもジャスティスとは何であるかを知りません」とこう言っていました。僕はそれを見てびっくりしました。よくこんな奴が裁判官になっていたなと思ってね。ただ、法律書に書いてあるとおりにやるのです。情状酌量なしです。こんな人がありますからね。

ロイヤーというのは大体だめなのです。私の一番嫌いなのは医者に役者に芸者に新聞記者。それから裁判官。こういうのは嫌いなのですがその裁判官だけは別です。友達から聞きましたよ。十一時になって偉いことを言いだした。「貴方はペテン師だ」といったのです。「貴方の言っていることは全て貴方の催眠術だ。全ての人に判断力をもてと言いながら、実は貴方は貴方の判断力を皆に注射している」・・・私は生まれて初めてこんなことを言われた。特にアメリカに来て初めて言われたのですがね。なるほどおもしろいことを言うものだと思いましたね。

どうでしょうか、私がここへ来て以来どこの講演ででも、絶対に私の判断力を皆さんに強いたことはないのです。皆さんがそう取っていらっしゃるのかも知れませんがね。私は皆さんにもし教えることがあるとすれば、ただ陰と陽という言葉だけです。これは陰ですか陽ですか、考えてご自身がお決めになったら良いでしょぅ。絶対に私の考えをみんなに強いることはないですね。そういう問題を皆さんがちょっとでもそういうふうに思っていらっしゃるところがあるなら、ぜひそれを言っていただきたい。

今後一億七千万人を相手に一人で戦うのですからね。もしこちらに過ちがあったり、過ちと取られるようなエキスプレッションがあったら我々の間で教えていただきたい。それからもう一つは、これはあまり大した問題ではないがアメリカでは医者でない限り医学の本を売ることができない。そういう法律があるのです。

-戦争直後に日本の親戚の医者がある本を買ってくれといって来たことがありますが、買いに行ったのですが売ってくれるようでしたよ。あまり高いのでやめたのですが。

桜沢 それは医者が書いた本ですか?

-そうでしょうな

桜沢 医者の書いた本は売れるのです。

-だれが書いた本がだめなのですか?

桜沢 医者でないものが書いた本はだめなのです。

-それは普通の人には売れないのですか?

桜沢 図書館でも医学書は一般人は見れないことになっている。ここには五十四丁目にたったひとつ医学ライブラリーというのがあってそこでなら見られる。どうです関さん、そういうことをお聞きになったことがありますか?そうすると聖書が売れなくなってしまう。聖書には病人を治した話しがたくさん出て来ますからね。これ売ってはいけないなんてね。ところがこれはもうベストセラーの中のベストセラーですからね。

-でもあれは医者の発行ではないですよね。

桜沢 もちろん。聖書会社の発行ですね。どちらにしても医学書を一般人が書いたり読んだりすることは許されない。やっぱり「医学的なもの」というのは漠然たる定義だろうと思うのですが特に治療に関することを言うのでしょうね。そうなるとタイムなんかに毎週医学欄というのがあってそこにでていますがね。これはもっともタイムの医学欄でなしに、お医者さんに医学を紹介するのですからまぁいいかもしれません。いずれにしろ一般書店では売れない。医学書店でないと売れない。

-よくドラッグストアのようなところに行くといろんなのを売っていますが・・・。

桜沢 それは通俗的なものでね。そして医者の書いたものでしょう。いっぺんそれ、君のほうの弁護士に聞いてみておいてちょうだい。それはまぁいいとして、そんなことは問題じゃないのですから。とにかく私が貴方がたに二五〇〇年来の、或いは東洋五〇〇〇年来の哲学をもって来てご紹介しているのです。私の発明した物は何もありませんよ。ただお釈迦さんや東洋の聖者やそういう人の説を受け売りしているだけなのです。ここで皆さんにはっきりと覚えていただきたいのは、陰と陽という言葉です。

これはまだ説明しませんね。しましたか-ちょっとしかけました。色はやりましたね。紫、オレンジ、イエロー、グリーン、ブルー・・・これにしたところでですね、この判断は私が押し付けた訳じゃないのですよ。皆に聞いたのです、一番陽気ないろはなんですか?そして赤が一番陽気だとね。一番陰気なのは紫だとね。何にも私が押し付けたのではない。その次に今度は水気が多いのと少ないの。水気ですね。H2O。この水って物は陰気なものですか陽気なものですか?

-陰気。

桜沢 陰気。うーん。あなたは?

-陽気でしょうね。-の中から出てくるから陽気ですな。
桜沢 ハハハ・・・あなたは?雨の降っている日と天気の日とどっちが陽気ですか?

-それは天気の日です。

桜沢 雨の降っている日はみんなリューマチの人は痛みます。前の日から痛みます。陰気なものですよ。水が溜まって青々としている中にいってご覧なさい。なんかぞーっとして寂しくなりますよ。青い淵をのぞき込むとね。水の浅いところでちゃぷちゃぷやっているときは陽気ですから。深い真っ青な深遠に望むと人間は滅入って来ます。

これは私が押し付ける訳でなく皆同意されるでしょう?水が多ければ多いほど陰性になる。人間、死んでしまうとぼろぼろに腐って分解して流れてなくなってしまう。水気が少ないほど陽性なのです。今度は塩気はどうですかね。塩気は陰性ですか陽性ですか?ぴりっと辛い、塩辛い。

-私は陽性だと思います。

桜沢 私は何にも教えないんですからね。皆さんのなにを聞いているんですからね。どうですミセス関。

-陽性に近い・・・

桜沢 陽性。はぁ。このお料理を見て分かるでしょう。お料理に塩がなかったら食えたものじゃない。お料理がおいしいってことは塩味なんです。だから昔から塩梅っていいますね。塩の使い方がまずいか上手いかによって料理の善し悪しが決まる。塩は水の反対です。水が多いほど塩が少なくなり、塩が多いほど水が少なくなる。

ちょうど反対です。塩が多いほど陽性で少ないほど陰性です。例えばオイサキさんみたいに目が悪くなる鼻が悪くなる尻が悪くなるなど、皆塩が足りないからなんです。魚など塩をうんとしておいてご覧なさい。割れ木のように堅くなっても腐りゃしません。塩が薄いとすぐ腐ってしまう。それで仕様(シオ)がないという。人間の血液の中で一番必要なものは塩なのです。だから血潮という。塩気がなかったら人間は腐ってしまう。塩気があれば絶対にばい菌が入って来ない。どんなばい菌も入って来ないこれはよく覚えていてください。どんなばい菌でも塩気がちょっと入ると皆死んでしまう。

こういう試験皿の中にロッカクロムを溶かして入れ、そこへスピロヘータ、梅毒の菌をいれるので。何万何千といれるのです。ロッカクロムの中なのに死なない。ただそこへ血液を一滴落とすと皆死んでしまう。血液の中にロッカクロムが入れば、ばい菌を殺せるのですが、血液がない場合には効かない。おもしろいものですね。結核菌なんてのはどこにでもいるものなんですが、塩をちょっとかけたら死んでしまう。実に弱いものなのです。

-太陽とどちらが良いのですか、結核菌を殺すのには。

桜沢 それは塩のほうがきついですね。太陽が無くっても塩で殺せますが、太陽があっても水気が多い場合はなかなか死にませんからね。塩が必要なんです。どんな病気でも心配することはない。塩気がきいておればね。

-高血圧に塩気はどうなんですか?

桜沢 医者は禁じていますね。だから治った人がないでしょう?高血圧の治った人がいますかね?一人もいないでしょう。今一番大きな最大の死亡者は高血圧から来ているのです。治す方法を知らないからです。私のこの方法をやってご覧なさい。高血圧ならたいて二週間、早いときは三日。この前、去年の七月八月の二日間、私の東洋哲学キャンピングをやったのです。世界中の人が集まって来ました。アメリカからも二、三人来ました。

ブラジル、パキスタン、インドからもね。三千二、三百人集まりました。毎日のお料理は家内が作りました。京都大学の教授で川端博士という偉い人がやって来て「いっぺん皆の健康を見せてくれ」といって毎日身体検査をやった。そうしたら二日目にその川端教授が「これは恐ろしい、僕はもう帰ります」というのです。「どうしたのですか」と聞くと、もう皆高血圧だというのです。いつ死ぬかも分からない、こんなところに居たら忙しくなるからかなわない。ということなのです。そこで私は「まぁまぁ二、三日の間勘弁してくれ」といった。

三日目に先生が飛んできて「不思議なことが起こりました。皆血圧がどんどん下がり出した。これはいったいどういう訳だ。ぜひこれは終わりまでいます」といってとうとう終わりまで居ましてロンドンへ行くのを延ばして、帰ったら日本の学会でこれを発表しようと言ってね。このお医者さんは戦争中、日本のお医者さんで五人、軍部が絶対手を出すことのできないお医者さんでした。あんまり偉くてもったいないからね。その一人です。それで、この名前はひとつ覚えておいてください。ケントル教授、フランス人です。今から二十年ばかり前に死にました。この人は三十年間ソルボンヌ大学の教授をしている間中、海の生物学の教授ですが、海の水を研究していた。

一生かかってごつい「海の水」という本を著しました。「ウォーターオブシー」アメリカにないでしょうかねこの翻訳が。世界的に有名な本なのです。皆さんの中でこういう説をご存知ですか?全ての地上の生物は大昔海からやって来たものである。どうです、聞いたことがありますか?

-聞いたことはあります。

桜沢 その説はこの人が言い出したのです。それはなぜかというと、どんな生物でも血液を調べてみると全て海の水と同じ組成をもっている。だからどうしても海からきたとしか思えない。ただしそれに濃淡はある。その薄いのはまだ地球が大昔で海の水が十分蒸発していないで創成期のすぐ後でできたような海ですね、それがどんどん濃縮されて塩分が濃くなった。今から五億年ほど前に最大限に達している。それから後はあまり変わらない。その時分に出て来たものが一番血液が濃いこういう大胆な説を立てたのです。

それからそれを立証するために一生かかったのですからえらい医者ですね。私の言ってる通りのことを科学的に立証してくれている。私はあったことはないですよ、もう二十年も前に死んでいるのですからね。この人は塩の組成を証明するために色々な動物実験をやった。例えばぼろぼろに老いさらばえた十五、六歳の犬、もう目も見えなくなって手足が変わっているような犬。それから若々し二、三歳の犬、その二匹を使って両方とも血液をすっかり出してしまう。そして海の海水を替わりに入れる。

そうすると若いほうの犬はぴんぴんしてちっとも以前と変わらないが年を取ったほうは二、三日動かない。それが俄然起き上がると若いほうより今度は強い。若返り法ですね。そんなことの何百という実験をしている。それがこんな本になっています。驚いたでしょう。血液を全部塩水と取り替えたほうが若返るというのです。それから今度は色んなばい菌を注射しています。塩気を入れておけば、ばい菌は皆死んでしまうから病気が大きくならない。海の水にばい菌がいますか?絶対にいないでしょう?丘から人間や大便や小水や工場の排水などいろいろなものを朝から晩まで流し込むのでしょう?

(つづく)
199410月号No.685