2012/07/25
食物と進化
先日インターネットでおもしろい記事を見ました。
従来は肉食とされていた先史時代のヒト属であるネアンデルタール人の歯石を調べた結果、植物のデンプン粒が観察されたそうです。
しかもデンプン粒がひび割れており、加熱していたことがわかるそうです。
また、併せて苦みのある植物も発見されており、植物を加熱調理したり、薬草を用いたりしていたのです。
陰陽で見ますと、肉食(陽性)中心の食事だと立って歩く(陰性)ということにはなりません。
陽性な昼間に我々が立って活動することからわかるように、立つ姿勢というのは頭が上に伸びる=陰性な姿勢なのです。
植物(陰性)を多く摂ることで立って歩く(陰性)ようになり、脳が発達しヒトへと進化したのです。
2012/07/11
協力するには
以前にも何度かお話いたしましたが、私たちは心を自分のものと思っていますが、これは天が我々の眼を通して認識しているに過ぎません。
しかし、見ている体は個々人の体ですから、100人いれば100の心があり、100通りの解釈があるのです。
人は皆違うから協力するのです。
個人の中でも右手と左手は同じ手でも役割が違い、もし右手と左手が全く同じであれば争いが生じてしまいます。
不要な人間など無く、例え悪人でも何かしら必要があり悪を演じています。
これを皆人間は同じだと思ってしまうから人の間で上下、順位が出来てしまうのです。
皆違い、それぞれの役割があれば協力することができるのです。
2012/07/10
二元論
二元論といえばデカルトが有名ですが、この二元論では精神と物質を分ける、つまり人間は特別な存在であるとして人間と自然を引き離したのです。
マクロビオティックでは人間と自然の生命原理は同じであり、人間と自然は分けることができないと考えます。
私は以前自然塩の製造に携わっておりましたが、その頃精製塩の製造に関わる学者や子育て中のお母さん方達の前でアサリの砂抜きの実験をいたしました。
アサリの砂抜きをする際の塩を、精製塩と自然塩で比べてみたところ、自然塩を使った方がよりアサリが活発に動いて早く砂抜きができるというものです。
学者はアサリは海水に住む生物であり、にがりを含む塩で活発に動くのは当たり前である。
確かに自然塩はミネラルを含むが野菜等も多くのミネラルを含むため、敢えてミネラルを摂るために自然塩を使う必要は無く、むしろ衛生的な精製塩を使うほうがよいという主張でした。
つまり、人間とアサリの生命原理が別だと考えているのです。
帰りにお土産用として自然塩、精製塩問わず様々な塩を置いていたのですが、アサリの実験を見たお母さん方は自然塩ばかりを持って帰るのです。
精製塩のように真っ白でない自然塩の色を見て、学者が不衛生な不純物と言ったにも関わらずアサリが活き活きとしていた自然塩を好んで持ち帰ったのです。
2012/07/09
自然と調和する
子どもの頃学校で習った科学的な捉え方では、自然と科学を分け、何か問題に直面した場合自然を変える、または征服しようとします。
例えば病気になると黴菌を殺したり病原を除きます。
そのためには自然のメカニズムを知ることが必要となり、それによって科学の発展があるのです。
東洋の伝統的な捉え方では、いかに自然と調和し、また従うかが重要です。
この場合病気になると食事を腹八分目にするとか、養生によって自分を変えるのです。
それには自然のメカニズムを知ることは不要であり、そのかわり自然の変化を感じ取る必要があります。
易には陰陽という概念があり、仏教には不二論という概念があります。
この二つは根本は同じものでありますが、桜沢如一は西洋に広めるために易を用いました。
当時も西洋では有識者達は易を学んでおりましたので、説明するのに都合がよかったのです。
2012/07/06
自由とは
「宇宙の秩序」という桜沢如一の著書がございます。
マクロビオティックを学ぼうとする方には是非おすすめしたい一冊です。
通常の常識的な因果関係とは異なる因果関係を述べております。
陰陽という原因があり、結果があるのです。
その陰陽の間違いから病気、不幸等が起るというのが一番のポイントであります。
マクロビオティックは大変禁欲的なイメージがあるかと思います。
たとえば小水の回数が一日に女性が3回~4回、男性で5回くらいが目安であるといわれていますが、これは実際やってみるととても大変です。
しかし、これを一生実践しなければならないなどどこにも述べられておりません。
大変ですが短期間でも実践してみると、陰陽がよく分かるようになるのです。
同じように圧力鍋で陽性に炊いた玄米なども、季節や体質によっては食べにくくなることがよくありますが、そのような時は極端ですが電気釜で炊くようなこともできるのです。
習ったことを一辺倒にやるだけでは病気にはならないかもしれませんが宇宙の秩序はいつまでもわかりません。
陰陽がわかり自分のものとすれば、マクロビオティックは決して禁欲的なものではなく、とても自由なものなのです。
2012/07/05
哲学と宗教
数年前アメリカに住む友人のお子さんをホームステイにて受け入れたことがありました。
彼はアメリカの工学部で有名な大学に在籍していたのですが、専攻を工学から哲学に変えました。
その講義の中で、「東洋に哲学は無く、あるのは宗教である」と教わったそうです。
私の母が以前牧師から聞いた話では「東洋に宗教は無く、あるのは哲学である」と聞いたそうです。
同じ西洋人の話なのに全く逆なのです。
私の考えでは、哲学と宗教の違いは死後に行く世界があるかどうか、ということであり、宗教にはそれはあるが哲学には無いといったところであります。
それによって考えると、キリスト教は死後の世界を認めますが、仏教や神道では一部を除き認めていませんから、牧師の話のほうが納得できます。
2012/07/03
原発再稼動を考える
マクロビオティックではあまり過去、未来という言葉を用いません。
万物は今変化しているという自然観なのです。
この世に同じスピードで変化しているものは無く、それぞれのスピードで変化していくのです。
たとえ金属のようなものでも同様であり、一般的には「金属疲労」などと呼んだりします。
先日原発が再稼動してしまいました。
原発は安全とはいいますが、この世に絶対の安全などありません。
昔はタブーが多分にあり、たとえ便利、楽だろうがやってはいけないことがありました。
今はそういったものが薄れ、科学的で便利ならやってよいというところがあります。
表あるもの、裏もある。
表大なれば、裏もまた大なり
個々が高い判断力を持ち、対処していく必要があるでしょう。
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