2013/11/27

フレンチ・メドウズ 思い出は永遠に(French Meadows Timeless Memories)

ジュリア・フェレーJulia Ferre
写真:ジェラード・ラムGerard Lum






















フレンチ・メドウズ・サマーキャンプの参加者の多くは、キャンプの参加をその年を振り返る良い機会と感じているようです。キャンプへの参加を境に新たな日々が始まると共に、次の年へと繋がる個々人の成長を記録するイベントでもあります。誕生日や記念日、休暇といった年一回のイベントは、あっという間に時間が経ってしまいます。でも、一年という視点で振り返ると自分がどれだけ成長したのかを垣間見ることができます。

 キャンプで過ごす時間はあっという間に過ぎる面もあれば、時間が止まったように感じる面もあります。日中は、食事をしたり、レクチャーを聞いたり、小川でリラックスしたりしている時間はゆっくりと、その時々のリズムで、流れていきます。



 







 今年はたくさんのイベントのおかげで、私たちは時間という感覚を超えた何かを感じることができました。先ず、過去数年連続で、小さい子供を持つ家族がたくさん参加してくれました。子供たちは絆を深め、キャンプを元気にするエネルギー源となってくれました。料理を作り、工芸品を作り、バラエティショー(発表会)では劇を披露してくれました。子供たちはキャンパー達のために時間の番人にもなってくれました。子供たちの行動を観察することで両親は子供の成長を考える時間を持てました。

 キャンプでの時間はあっという間に過ぎることもあり、この良い例が今回のキャンプでもありました。キャンプに長い間参加して下さっていたキャンパーが2人(Barbara Johnston BrownとWill Hoglund)、今年(2013年)5月に亡くなり、彼(女)たちの為に素敵な哀悼式を行いました。











 Willはノースダコタ州ファーゴ出身で、GOMFが法人登記したのと同年の1971年にTochi Natural Food Storeを設立しました。Willはミネソタからポップコーン、サンディエゴのGold Mine Natural Foodsから醤油などの食材をキャンプに持ってきてくれました。彼は食品だけでなくアメリカ原住民の伝統にも関心を寄せていました。毎年Medicine Wheel(「聖なる輪」「生命の輪」「魔法の輪」「神聖な儀式」を執り行う場所。)を建て、キャンプ仲間に参加を呼びかけ、ドラムを叩いたり、瞑想したり、想いを共有していました。Medicine Wheelは地面上に描かれ、東西南北、上下、内を表し、サイクルを通じた自然を意味し、時間の経過と個人の内なる反応に対応します。Willはこの伝統を維持することをキャンプ仲間に託し、私たちはその意思を尊重していくつもりです。

 Barbaraも地元で精力的に活動している人でした。彼女は夫のMichael Brownと共にカリフォルニアのサンフランシスコに住んでおり、バークレイでGreen Earth Caféを開いています。たくさんのマクロビオティックな友人の生活に関わり、料理教室の開催、持ち帰り料理の準備、パーティーのケータリング、ワークショップをしたりしていました。キャンプでの追悼の際には、彼女と時間を共にした人が一人ずつ立ち上がり、彼女のおかげで自分の生活がどれほど充実したものになったのかを話し、どれほど多くの人が彼女から感動をもらえたのか、ということが明らかに分かる場となりました。Brown夫妻は多くの面で―絶版となった本を再版するプロジェクトや、最近閉店したカフェから食物を寄付してくれることなど―キャンプをサポートしてくれました。











 キャンパー達に愛された二人にさよならを言うのは悲しいことですが、時間が経過するのを受け入れたいと思います。時間は面白い単位ですね。それ自体は日、月、年を測るにすぎませんが、深く顧みると、それぞれの単位には重要な意味があります。

 ある年のキャンプでヘルマンは継続性というテーマについて話をした際に、この単位の重要性についても話をしていました。彼の話を意訳すれば、出来事の重要性はその継続性に求められます。相対界の出来事には常に始まりと終わりがあり、全ては変わるものです。それでも大切なのは自分たちが始めた物事の継続性にあります。











 私の解釈としては、時間はスタートしストップする様に思え、私たちは出来事の始まりと終わりを測ります。そこに無限という時間を超越した特性を考慮すると、物質の核が見えてきます。Willの場合、単純性・純真という時間を超越した特性を持っていました。毎年キャンプに参加し、静かに定期的に他のキャンパーと交流していました。毎年何千マイルも運転し、何年にも渡り子供と孫をキャンプに連れて来る、キャンプが大好きな人でした。毎年欠かさずキャンプへ備品を提供してくれ、Medicine Wheelを始めとするキャンプでのイベントも欠かさず開いてくれました。彼にとってそれらは大切なことでした。

 Barbaraも信念のある人でした。良い食を好み、素晴らしいシェフでした。人々とマクロビオティックが持つ力強さが大好きでした。その可能性について話し、試食として食物を提供することを通じ、出会う全ての人と自分の考えを常に共有していました。自分にとって意味のある大義を大切にすることで、他の人がそれから恩恵を得ることができました。











 キャンプ自体も継続性のあるものです。44年間、同じ場所でキャンプを開けていること自体、まるで生きているかのようです。これまでの全キャンプと、そのいろいろな思い出を振り返ることができます。全ての先生と彼らの講義、塩や望診、暴露話など。長年かけてたくさんの子供たちが参加してくれました。現在、10代の子や大人になった「キャンプ」ベイビー達も参加者でした。3世代に渡り何年もの間、キャンプに参加してくれた家族もいました。成長した両親が大人になった子供を連れて参加することもあれば、逆の場合もありました。

 それから、キャンプ自体のパラメーターもあります。例えば、小川の水嵩が高い年もあれば、貯水池の水嵩が低い年もあります。野生の動植物も変化します。新しい鳥が出現し、テントウムシが孵化し、熊がウロチョロしている時もあります。木々についても同様です。大きな木は時間の経過を感じさせず、小さい木は大きく成長していきます。











 フレンチ・メドウズ・サマーキャンプの持続性は何なのでしょう?何年もマクロビオティックの同志が同じ場所に集まっているからでしょうか?薪火を使い、全粒穀物、植物ベースの食物を料理しシェアしてきたからでしょうか?キャンプに参加し、家族と同じくらい強いコミュニティを築いてきたたくさんの参加者のおかげでしょうか?

 フレンチ・メドウズで形成されてきたスピリットがあります。それは友情、友愛であり、キャンプ地という場所の限界を超え、持続してきました。参加した年以降に参加できずにいた人たちも、自分が過ごした年のキャンプを考えるだけで、感慨深さを思い出すようです。

 フレンチ・メドウズ・サマーキャンプは毎年7月に開催しています。毎年、最後の日の前日のキャンプファイヤーでAuld Lang Syne(オールドラングサイン。蛍の光)を歌います。たくさんの人にとって、キャンプは新しい年の始まりであり、この歌は時間の経過を象徴すると共に、新たな繁栄の年を祈念するものとして歌われています。


“For auld lang syne, my dear, for auld lang syne. We’ll take a cup of kindness yet, for auld lang syne”







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ジュリアはFood and Intuition 101, Basic Macrobiotic Cooking, French Meadows Cookbookの著者です
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「フレンチ・メドウズ 思い出は永遠に(French Meadows Timeless Memories)」は日本CI協会・編集部が和訳したものです。

GOMFの連絡先は下記となります。
E-mail:gomf@earthlink.net
英語版を読みたい方は下記のウェブサイトをご参照ください。

http://www.ohsawamacrobiotics.com/pdf-downloads/macrobiotics-today-pdf-nov-dec-2013-detail

2013/09/27

普遍の原理を身に着け生きる

これまでも度々お話しましたが、陰陽というのは人から教わることではなく各自が考えるものです。
トマトは赤い陽性な色をしていますがなぜ陰性だと言われているのでしょう?
これも十人いれば十通りの答えがあるのです。

陰陽とは原理ですから自分で考え、本能を開発していくことが必要であり、これを人から教わるというのは不可能なのです。
こうして本能が開発されていけば、考えなくても味覚で陰陽がわかるようになり、陰陽という普遍の原理を身に着けることができるのです。

2013/09/11

マクロビオティックで無意識を鍛える

我々には意識と無意識があります。
物を落としそうになったときに素早く手を出して掴むことがありますがこれは正に無意識の為せることであり、意識では絶対にできないような瞬時の判断をしているのです。
マクロビオティックを実践していくとこの無意識が鍛えられ、電車が揺れる直前に吊り革を掴んでいたり、また電車に乗り遅れたと思っていたら電車も遅れていて乗ることができたりという経験をよくするようになります。
皆様にも是非無意識を意識(言葉がおかしいですが)し、鍛えていただきたいと思います。

2013/09/10

船上での大変身(Profound Transformations at Sea)

ジョン、ジャン・ベラミー夫妻とのインタビュー
An interview with John and Jan Belleme


ジュリア・フェレーJulia Ferre
















ジョン・ベラミーとサンディー・プケルは “The Holistic Holiday at Sea”クルーズを主催しています。彼らは様々なビジネスを長年共に展開してきました。二人をサポートするようにジャン・ベラミーも精力的に関わっています。ベラミー夫妻はマクロビオティック・ムーブメントに多大な貢献をしてきました。アメリカン・ミソ・カンパニー(AMC)を立ち上げ、“Japanese Foods that Heal”を初め沢山の本の著者でもあります。2013年の3月、ベラミー夫妻から話を聞く機会を得ることが出来ました。


ジュリア(以下J):
お二人にお会いでき、とても嬉しく思います!クルーズの経緯について教えてくれますか。今年2013年が10周年記念だそうですね。どのようにスタートしていったのですか?

ジョン・ベラミー(以下JohnB):
サンディーと私は何年もビジネスをしてきました。みそ工場、セイタン工場、日本食の輸入会社。1980年代と90年代、サンディーはフロリダの海岸線上にあるEden Roc Hotelや他のリゾート地でマクロビオティック・カンファレンスを数多く開いていました。90年代後半、カンファレンスの開催直前にホテルからキャンセルの連絡が入りました。キッチンを修理しており、それがまだ完成してなかったようです。キャンセルされたことが大変ショックであったのでサンディーはカンファレンスを開くのを止めました。それから2002年頃、船上でマクロビオティック・カンファレンスを開くことに興味を持ち、その立ち上げに協力するよう私に声がかかりました。
 最初のクルーズでは400名が参加しました。95%の参加者と講師がマクロビオティックを実践している人でした。クルーズは大成功でしたが、実は大失態がありました。出港した後にマクロビオティックの主な食材をフォートローダーデールに置きっぱなしにしてきたことに気づいたんです。料理長のマーク・ハンナは海上でメニューを変更せざるを得なくなりました。梅干しもなければ他の食材もなかったため、船に備え付けの冷蔵庫から食材を借りることができました。運が良いことにマークは15ポンドの味噌を自前で持ってきていました。参加者には美味しく食べていただけました。成功と言えるのは、参加者の誰もキッチンが大変なことになっているとは気づいていなかったからでしょう。

J:クルーズの趣旨が当初のマクロビオティック・カンファレンスからビーガン・プログラムへ変わっていったのは何故ですか?

JohnB:(クルーズにおいて)マクロビオティックの面はゆっくりと成長し、ビーガンの面は急速に成長しました。2回目のクルーズで私たちはベジタリアン・タイムズ誌とパートナーシップを組み、それ以降、植物性食品をベースにした食事法を提唱する講演者、研究者、料理講師を増やしていきました。Christina Pirello(クリスティーナ・ピレーロ)、Jessica Porter(ジェシカ・ポーター)はマクロビオティック料理の講師として留まり、二人に加えて三番目の講師―Ann GentryIsa MoskowitzBryant TerryColleen Patrick-Gourdreauなどビーガンの世界で有名な講師陣―を毎年紹介していきました。

J:クリスティーナとジェシカは最初のクルーズにもいたのですか?

ジャン・ベラミー(以下JanB):ジェシカはいませんでしたが、クリスティーナはいました。クリスティーナは過去10回のクルーズ全てに参加しています。魅力的かつ情報に富む彼女のクラスはマクロビオティック、ビーガン、両方の参加者に人気があります。ジェシカはクルーズの最初の頃からMCとなり全ての講演者を紹介しています。彼女の面白い講師紹介はクルーズのハイライトの一つとなっています。

JohnB:私たちが目標とするのは、マクロビオティックの基準と教育機会の提供を保ちつつも、急激に成長する世界規模の全体食、植物性食品をベースにした食事法への関心に応えることにあります。

J:私は初めて昨年参加しましたが、4つメニューがありました。何が変わったのでしょう?

JohnB2012年のメニューは、メインとなるマクロビオティック・ビーガンメニュー、グルテン・フリーメニュー、オイル・フリーメニュー、マクロビオティック・ヒーリングメニューの4つでした。座席をアレンジする関係で、その4つが提供できる限度でした。メインメニューはグルテンフリーメニューとほぼ同じですので、2013年はメインメニューに含めました。オイル・フリーメニューはまだ出していますが、ヒーリングメニューは提供していません。

JanB:ヒーリングメニューを希望する参加者が毎回いたので、2012年にそれを提供したのですが、メインメニューが既にマクロビオティックメニューである点と、ヒーリング食は制約されたメニューということに気づかずにそれを要求する人もいました。そこで、今ではヒーリングメニューを希望する人には事前に私たちに連絡を取ってもらい、準備するようにしています。

J:それぞれのメニューを選択した人の割合は?

JanB:オイル・フリーは約25%です。約73%がメインのマクロビオティック・ビーガンメニューを選び、約1%が船上の通常食を希望しています。ヒーリングメユーを希望した人が約6名いました。健康上の特別なニーズを抱えている人やカウンセラーのケアを受けている人たちです。

J:マクロビオティックとビーガンはどのように関係し合うのでしょうか?

JohnB:クルーズの最初の頃、多くのビーガン食の人はマクロビオティックという言葉を聞いたことがありませんでした。その後、マクロビオティックのクラスに行き、「マクロビオティック食とビーガン食との違いは?」などの質問をし始めました。ビーガン食の多くは体系がありません。有機の野菜をたくさん食べますが、穀類や食物の効用には注意を向けません。クルーズ生活が長くなるにつれ、自分の食事の仕方をもっと規律だった形に変えていくことを学んでいきます。船を降りる頃には、マクロビオティックに関する本を買う人もいれば、マクロビオティックもどきのような人も出てきます。非常に集中的に食べ物に対する人々の態度を変える力がこのクルーズにはあります。

JanB:ビーガンの人だけでなく、マクロビオティックの人も完全にビーガン食に傾く人もいます。

J:クルーズの物流面はどうでしょうか?

JohnB:大変なこともあります。例えば、参加者の部屋に用意するサンプル食品、書籍、食料を含め、アメリカや日本など約70の会社がここに荷物を持ってきます。3ヵ所の倉庫に荷物を入れ、船が出発する最後の最後に1ヵ所の倉庫に入れ、そこに集められた荷物を最終的に船に運び入れます。一般の倉庫を使っており、私たちの関係者が全ての荷物を確認してはいません。分かっているのは荷物、例えばテンペなど、が倉庫に着いたということのみです。何かが不足していても把握できないので現状です。
 クルーズの1週間前に全ての食料が船に積まれます。マークとクッキング・スタッフがクルーズ船に乗り、不足分の食料を引き受けます。毎週土曜に船の往来があり、船が土曜以前に来ると、それに荷物を載せ、シェフが乗り、全ての食料を整理して置きます。ミレットはここ、米はそこ、など。シェフの人たちは受け取る食料にリストを持っています。その後、サンディーと私が船からの衛星電話で連絡を受け、実際に何が積まれているかの確認を取ります。34日のうちに抜けているものを調達するのが私たちの仕事です。次のクルーズでは、このプロセスをよりシンプルで効率的なものに変えています。

J:スケジュール管理とプログラム案内の作成はジョンがしているの?

JohnB:ジャンが大体しています。全部で35人の講師と120のクラスがあり、しっかりスケジュールを組まないといけません。それに加え、講演者を紹介するMCがいます。一番有名な講演者を適切な講演会場に手配するのも大事なころです。ハリウッド映画をつくるようなものです。

JanB:プログラム案内の冊子には全ての情報が載っているので特に重要です。現在は自分たちで冊子を持ち込むようにしていますが、ある年は大変な目に会いました。出来上がった冊子を倉庫に運んでもらい、それから1週間前に船に運ぶ手配をしてたのですが、スタッフが在庫の確認をしていたら冊子が見つからなかったのです。

JohnB:倉庫のスタッフは船に載せたと言うし、船のスタッフは受け取っていないと言うし。

JanB:全部再版の準備をして、1700部全ての印刷許可を出す最終期限になって船の上に冊子が見つかったのです。

J:他にはどのようなハプニングに見舞われたのですか?

JohnB:物事がうまくいかないと、ヤキモキしますね。4回目のクルーズの際には、船内に持ち込むほとんどの荷物―ケール、チンゲン菜、たんぽぽ葉など―をフォートローダーデール港に置きっぱなしにしてきました。幸運にも、最初の寄港は翌日のキーウエストでしたので、寄港場所に注文品を運ぶように依頼しました。港に着くと、ストライキがあり、港湾労働者はトラックいっぱいに積まれた荷物を運び入れる助けをしてくれませんでした。私たちはケースをひとつひとつ手で運び入れることになりました。
 具体的に数字を挙げてみると面白いと思います。908kgのたまねぎ、817kgの人参、68kgの塩、136kgの味噌、246Lのメープルシロップ、170Lの米飴、数百ケースの有機ベーグル、90kgのビーガン・クリームチーズなど。生鮮品も含め、トラック4台に満載した分量の食品が必要でした。

J:どれだけのスペースが必要で、どのように在庫を調整したらよいのか全く想像ができませんね。調整といえば、サンディーの話ですと、講演希望者から連絡をもらうこともあるそうですね。どのように対応しているのですか?

JohnB:毎年、約100名が講演を希望して来ます。クルーズで講演することで1千人の人を前に講演する機会が得られるからです。実際は、有名どころの講演者しか聴衆をひきつけることはできません。そうした講演者には大きな劇場会場を割り当て、他の先生には小さい部屋を割り当てています。
 クラスの人数の調整が大切です。1400人の人が着席しなくてはいけないので、本当に有名な講演者を毎回大きな劇場会場に割り当てています。そうしないと、他の二つの部屋に人があふれてしまいます。二つの部屋は合わせて500人を収容できます。全員がクラスに参加する場合、900人が大きな劇場会場に入らなくてはいけないのです。

J:毎回特定の講演者の講演に参加するファンはいますか?例えばヨギ・デサイ(Yogi Desai)のような?

JohnB:彼は良い例です。数人のファンがいるようです。

JanB:エッセルスタイン博士(Dr. Esselstyn)も同様です。キャンベル博士(Dr. Campbell)、エッセルスタイン博士、バーナード博士(Dr. Barnard)と今年はミチオ・クシが私たちのクルーズのロックスターような存在です。彼らのおかげで沢山の人が参加してくれます。参加者が申し込みをする際に、特にだれか気になる講演者がいるか聞いていますが、彼らの名前は必ず上がってきます。

J:他の有名人はどうですか?例えば、マクドウガル博士(Dr. MaDougall)、ディーン・オルニシュ(Dean Ornish)、ディーパック・チョプラ(Deepak Chopra)など。

JanB:マクドウガル博士には2回声をかけましたが、忙しさを理由に断られました。ご自身でリトリートをコスタリカで行い、カリフォルニアではずっとご自身のプログラムを開いています。

JohnB:ディーン・オルニシュにも声をかけましたが、彼(あるいは彼の妻)は船に乗れないみたいです。別の問題としては、私たちはビーガン食を勧めてくれる講演者に来て欲しいのですが、彼は魚の油を勧めたがります。ディーパック・チョプラに関しても、こちら側の希望とうまく合致しないようです。

J:それは彼が霊的なことをもっと勧めたがるからですか?

JanB:そうでもないです。クルーズでも霊的なことは行いますし。

JohnB:ただクルーズではメイン・イベントではそれはしないですね。チョプラはメイン・イベントとして開催する必要がありますので、小さい会場で開催するわけにはいきません。また、彼はアユールベーダー系の内科医で症状によっては肉や乳製品を時々勧めるので適切な人選ではないと思っています。

J:クルーズにアクティビスト(行動家)はいました?

JanB:ある年、45人の倫理的なビーガン食実践者が参加しており、他の人と食べ物について対立していました。概して多くのビーガン人は動物愛護からビーガンになり、やがて健康と植物性をベースとした全粒食について学び始めます。発展過程があり、今は健康に関心を持つビーガンの人が沢山増えてきています。昼食時に若いビーガン食の人たちと話をすると、彼女は他の友人と共に健康や生態系への関心を理由にビーガン食をしているようです。倫理面に関心を寄せて最初はビーガン食を食べていたようですが、今はジャンクフードのビーガン食を食べるのではなく、健康に良いビーガン食をどのように食べるかということに関心があるようです。

J:クルーズを開催するに至った最大の動機はなんですか?

JohnB:哲学的な考えでは、宇宙が機会を与えてくれるということです。サンディーや私が何かアイデアがあり、それを計画したわけでは全くありません。船の上でのカンファレンスに参加したい人がいるとは想像できませんでしたが、どうやらそれに対するニーズがあるようです。味噌工場も同様に、それに対するニーズがあったのです。

J:小規模でスタートして、ニーズを満たすことで大きくなっていったのですね。

JohnB:宇宙が有機的にニーズを組み立ててくれます。実際、サンディーと私はマクロビオティック・クルーズを開催しようという話をしていましたが、マクロビオティックの世界だけに留まっていては大きなイベントになる潜在性はありませんでした。それが大きくなるキッカケとなったのはベジタリアン・タイムズ誌との出会いです。2回目のクルーズの際に彼らとパートナーを組み、広告に「ベジタリアン・タイムズ誌協賛 海上でのホリスティック・ホリデー」と載せました。彼らの雑誌でもクルーズの広告を入れてくれましたし、HP上でもプロモーションをしてくれました。そうした媒体を通じてクルーズのことを知った人が沢山います。それから分かったのは、クルーズで出される食べ物を食べられないけどもクルーズに参加したいという人が何千といることです。そして彼らもクルーズに申込み始めました。

J:クルーズに参加した人はどのような影響を感じていますか?

JohnB:慢性病や深刻なガンなどから見事に快復された人がいます。ベティ・ホーエン(Betty Hoehn)が良い例です。彼女はいつもリカバリー・パネルのメンバーにいます。

JanB:ある年、ベティはクルーズに参加したかったのですが、病状が酷く参加できませんでした。翌年は症状が悪化していました。最初は慢性リンパ性白血病と診断され、二度目はリンパ腫と診断され、余命わずかだと言われたそうです。

JohnB:私たちが一度だけ広告を出した雑誌をたまたま手に取ったみたいです。その雑誌は地域住民向けの雑誌で、全国誌ではありませんでした。たまたま適切な場所で、それを手に取ることができたのです。

JanB:クルーズは3月で、その後5月にリンパ腫と白血病から快復したとの電話を彼女からもらいました。クルーズ船上でマクロビオティックを真面目に実践し、コンサルテーションを受け、料理教室にも参加していました。数ヵ月が経つ頃には悪性細胞の数などが大幅に減り、その数ヵ月後には肥大した脾臓が正常サイズに戻っていました。ベティは2007年か08年に初めて参加して以来、毎年参加しています。今は健康体そのものですね。

JohnB:彼女の夫もクルーズには参加し同じ食事をし始めると、血圧は下がり、血糖値も下がり、PSA前立腺特異抗原)も下がりました。こうしたことはよく起こります。ビーガン食の女性が肉食の夫を一緒に連れてくる。本当はクルーズに参加したくなく、どのクラスにも参加するつもりはなく、どの食事も食べるつもりもない夫は参加費を値切ろうとも思わない。そうした人たちにはクルーズに乗り、いくつかクラスに参加し、すこし食事を食べた後にどんな変化が見られるかを観察するように伝えています。ほとんどの場合、船を降りる頃には二人ともビーガンになり、体重が減り、気持ちがよくなっています。

JanB:ある年、マクロビオティックを実践している娘を持つ夫婦が参加しました。クルーズ船上で提供する何にも関心がない彼らは、提供される食事は何も手を付けず、クラスも受けないため参加費の値引きを要求してきました。その時は彼らの要望を聞いてあげましたが、その後彼らから教訓を学びました。クルーズの最後に彼らからメールをもらいました。「素晴らしいクルーズに参加することができ、私の人生は変わりました。プログラムから提供された食事しか食べず、全部のクラスに参加し、コンサルテーションを受け、いろいろなことを経験できました。」結局彼らは参加費を全て支払ってくれました。この、クルーズで他人と時間を共有し、食事を食べ、クラスに参加することの影響力の強さを表す最も良い例だと思います。

J:熱中できますね。大勢の人たちと食事会場に入れるのが大好きです。家族と一緒に来たら同じテーブルに座っていなくちゃいけないけど、ここでは何百人の中から一緒に座る人を選ばなくちゃいけないもの。

JohnB:意図的にどこにでも座っていいように思います。同じ場所にずっと座らせる船もありますが、私たちのクルーズは人々の出会いの場でもありますし、コミュニティ意識を持ってもらえるよう努めています。

J:コミュニティ意識はとても心強いです。他の人たちはどのように出会いを結んでいったのでしょうか?

JanB:クルーズのおかげで結婚式を開けた人たちもいます。ジャネット・ヴィットは2回目のクルーズの際に船上で結婚しました。ロサンゼルスから来た別のカルペル夫妻は3人の娘を連れてきました。そのうち、2人の娘が船上で婚約者に出会いました。一人でクルーズに参加したい人にはルームメートを選べるプログラムも提供しています。どんな人とルームメートになりたいのか選択肢を与え―自分と同じ国や地域の人、同じ年齢の人など―お互いに連絡を取れるようにしています。

JohnB:素晴らしい友情が生まれました。私の姉は集中治療室の看護師ですが、2回目のクルーズに参加した際に女性の内科医の人とルームメートとなるように手配しました。8年前になりますが、彼女たちはまだ連絡を取り合っているようです。妹もクルーズに参加しました。美容師の彼女は12人の従業員を抱える美容室を開いています。彼女の専門はヘアカラーですが、食べ物の勉強をするために乗ったクルーズ船で、結局、化粧品の毒性について知ることになりました。シェリー・ロジャーズ博士(Dr. Sherry Rogers)も参加しており、彼女が発表したプレゼン資料の中で、青い舌の化粧品専門家が紹介されていました。その資料を見た後、妹は自分の美容室を売り、完全にライフスタイルを変えました。

J:クルーズは今後大きくなりますか?船全体がプログラムで使われるようになりますか?

JohnB:来年は大きくなります。これまでは食事場内の荷物移動の問題で船の半分だけしかプログラムで使えていませんでした。ディナー時には二つの座席指定時間があり、6時からの前半、8時からの後半があります。二つの会場には1400人が着席できます。会場が満員で座席が確保できなかったので今年は100人が参加できませんでした。
 2014年には船の半分の収容人数は1750人の船に乗るようにします。この船をチャーターするには最低でも2000人を集める必要があります。1800人集めても費用全額を賄うには不十分です。財務的なやりくりですね。今年1400人集められたので、来年は1700人は集められると踏んでいます。その後は・・・どうでしょうね。

J:クルーズの仕事はご自身のミッション(そう呼べるのであれば)とどのように関係していますか?日本を訪問し、味噌作りを学び、たくさんの本を書き、アメリカン・ミソ・カンパニーを立ち上げてきましたよね。今はもっとたくさんの人たちを教育し、気づきを与え、たくさんの人たちに影響を与えています。これはずっと望んできたことなのでしょうか?あるいは機会が回ってきただけなのでしょうか?

JohnB:確かに自分の性格を変える大変革な出来事です。基本は大人しい人物ですし、それほど社交的ではありません。クルーズでは1400人を招待していますが、家では夕食に2名を招待することも稀です。

JanB:たぶん常に電話やメールなどで相談にのったりしているからなのかもしれないですね。プライベートな時間が必要かもしれないですね。

JohnB:それでも誰かが学びたいと思って来れば情報を与える必要があります。自分は情報を持っていてそれを与える相手を探しているというよりも、人々が情報を欲しているんです。このクルーズは教育を受けたいと思っている人が教育を受けられるチャンスを提供しています。私やサンディーや他の何かを見つけにクルーズに来ているわけではありません。

JanB:私たちの目標とも実際には関係しています。たくさんの人を助けたいという私たちの望みと確実に関連があります。CME(医学生涯教育・継続的医療教育)プログラムではより多くの人をクルーズに送ってきています。ドクターが他のドクターの研究を聞き、それに触発されたドクターが自分の診察方法や患者への対応方法に影響を及ぼす。このステップが発展していくのを見るのは救われる思いです。

JohnB:奇跡もありました。例えば、キャンベル博士がエッセルスタイン博士について話した後、私たちは彼をクルーズに招待しました。そのすぐ後、クリントン前大統領がビーガン食に転向し、彼の名前を挙げ、エッセルスタイン博士がCNNに登場しさらに有名になりました。その後(フォークス・オーバー・ナイブズいのちを救う食卓革命)Forks Over Knivesという映画が上映されました。私たちが彼を招待したい際には彼のことは全く知りませんでした。彼が有名になると、350人が新たにクルーズに参加しました。誰も予想などできませんよ。

JanB:機会が巡ってきたわけですね。

J:その一員になれ光栄です。ありがとうございました。


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ジョン、ジャン・ベラミー夫妻は、伝統的な日本食のヒーリング・パワーに関する一流の指導者です。1979年、日本に住み、直に手製の味噌作りを約1年学んだ後、世界的な伝統味噌メーカー、アメリカン・ミソ・カンパニー(AMC)を設立。80年代から日本食をテーマに研究し130冊以上の記事をイラスト入りで執筆。Cooking with Japanese FoodsCulinary Treasures of JapanClearspringThe Real Taste of JapanThe Miso BookJapanese Foods That Healが代表的。米国の東海岸を拠点に本物の日本食に関するレクチャーをして回っている。毎冬、サンディー・プケルと一緒に、マクロビオティック料理、健康な生活、ホリスティック医療、ヨガ、瞑想、指圧、ピラティス、ナチュラル・ビューティ教育の専門家を集め、一週間に渡るヘルス・クルーズを主催。ノースカロライナ州サルーダ在住。
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「船上での大変身(Profound Transformations at Sea)ジョン、ジャン・ベラミー夫妻とのインタビューAn interview with John and Jan Belleme」は日本CI協会・編集部が和訳したものです。

GOMFの連絡先は下記となります。
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2013/08/29

低体温について

来る12月15日に第5回医学シンポジウムが開催されます。
今回は渡辺昌先生に加え川嶋朗先生にご出演いただくこととなりました。
先日川嶋先生と対談をさせていただきましたがとても有意義なものとなりました。
(対談の模様は月刊マクロビオティックに掲載いたします)
体温を上げれば免疫力や代謝が上がり健康に良いことは知られるようになりましたが、これは生活習慣で十分に実現できることなのです。
なにも難しいことではなく、早寝早起き、身土不二に沿った食事、体をよく動かす、よく噛んで食べる等が大事です。
低体温に負けない体質というのはつまり陽性な体質ということで、これには日ごろの習慣で作られます。

いち早く体温に注目した川嶋先生はこれをアメリカで発表し、大変な反響を得ましたが、やはりこれを国内で広めたいと尽力なさっています。
是非みなさまに医学シンポジウム及び月刊マクロビオティックで川嶋先生のお話を聞いていただきたく思います。

2013/08/10

伝統食の意味

水を分解すると水素と酸素になりますが、水素と酸素をいくら調べても水のことはわからないのです。
同じように体内の消化液をどんなに調べても体の中で何が起こっているのかということはわからないのです。
ですから食べ物は伝統的に食べられてきた、保守的とも言えるものが良いと最前線で活躍する研究者が言うのです。
科学実験というのはそのシチュエーションで起こる結果の証明にはなりますが、世界は絶えず変化していきますから同じシチュエーションというのはあり得ないのです。
私自身が若い頃にやってうまくいったことを現在同じようにやってもうまくいくとは限らないのです。

2013/08/09

マクロビオティックと東洋医学レポート「気血水と指圧(理論と実技)」 

7月28日に開催されたマクロビオティックと東洋医学の内容を一部ですがレポートいたします。

①気とは
「元気」や「精気」と言うが、これらは腎に蓄えられる。
作物を食べることで水穀の精微を取り入れ、それが胃から肺に上り、肺の清気と混ざり胸の位置で宗気となり、血や水を全身へ巡らせる。
気には大きく分けて「先天の気」と「後天の気」があるが、先天の気は有限であるため、良い空気(清気)と食物(水穀の精微)を取り入れて後天の気を養うことが必要。

②血とは
食物が小腸で吸収され、血となり心へ送られる。その後気と共に全身を巡る。

③水とは
津液ともいい、気・血以外の水分である。
アトピーは皮膚の病気ではなく、水滞、水毒によって起こる

④指圧の実技
指圧の際の正しい体勢、体重の載せ方等
手のひらにあり、様々な効果が期待できる「合谷」、夏バテに良い「裏合谷」を使っての実践

⑤参加者の感想
・気、血の巡りを良くするだけでなく、気、血そのものをしっかり養うために食の大事さを改めて認識しました
・自己流でマッサージをやっていたが、今回ポイントを教えていただいて参考になった
・正しい姿勢でやると力が必要なくできることを体感したので家でも実践してみます

たくさんのご意見、ご感想ありがとうございます。

次回は8月25日 身体観と指圧(理論と実技)です。

◆日時:8月25日(日)14001700
◆場所:日本CI協会2階ホール(渋谷区大山町11-5/電話03-3469-7631
◆受講料:【 単発  】日本CI協会会員/4,500円(税込)、一般/5,000円(税込)
◆持ち物:筆記用具
◆連絡先:事務局:日本CI協会
     TEL03-3469-7631 / FAX03-3469-7635 / E-Mailj-info@ci-kyokai.jp

*都合により、講座内容等が変更になる場合がございます。ご了承ください。

2013/07/30

マクロビオティックを理解するには②

先日のお話に補足をしたいと思います。
陰陽を理解するには知識も必要ですがそれだけでなく体感しなければならないのです。
知識、体感の両面から陰陽を理解することができれば自然と宇宙の秩序に従った考えになるのですから、自分の思ったことが実現するようになるわけです。
人に関わらず動物は感覚器官によって反応するのですが、人に限っては知識で反応してしまっていることがあります。
かき氷に味の全くない色素で赤く色づけしたところ、食べた人がイチゴの味がすると答えるそうです。
赤いかき氷はイチゴ味だという知識が感覚器官を邪魔してしまったのです。

動物は体感による経験だけで知識は持ちませんが、健康に生きているのです。

2013/07/28

地球という意識(Planetary Consciousness)



ビル・タラ氏とのインタビューAn Interview with Bill Tara


ジュリア・フェレーJulia Ferre





ビル・タラ氏は長年マクロビオティックに関わり、マクロビオティックのトップ指導者の1人です。ボストンのエレホン(Erewhon)で創業当初から働き、コミュニティ・ヘルス・ファウンデーション(Community Health Foundation: CHF)とクシ・インスティテュート・ロンドン(Kushi Institute London: KIL)を立ち上げ、アメリカとヨーロッパで数多くのビジネスとベンチャーに携わってきました。本インタビューは20133月にホリスティック・ホリデー(The Holistic Hoiday)の船上で行いました。



ジュリア(以下J):マクロビオティックを始めた理由を聞かせてくださいますか?


ビル(以下B):私のルームメイトであったポール・ホウキンを通じマクロビオティックを知りました。私たちはサンフランシスコにスタジオを構えていました。ポールは写真家で、私は少人数で劇団を開いており、ロック・ダンスやライト・ショーなど、皆と一緒に色々なことをしていました。1966年にポールはジョージ・オーサワ(桜沢如一)の1冊の本に出会い、彼の食事法を通じ自分の喘息を治そうと決心しました。私もその本を読んだ後、非常に感銘を受けたのです!10代の頃、老子道徳経を読んでいましたが、ジョージの本を読んで感じたのは、この哲学を活用することで何か現実的にできるという想いでした!当時、私の生活スタイルは酷いもので、十二指腸潰瘍を患っていました。医者は手術が必要だと言いましたが、マクロビオティックを実践すると痛みが完全になくなったのです。医者の所に行き、自分がしていることを伝えると、彼女は酷く驚いていました。


J:本当に?彼女は(あなたの快復を)喜んでいなかったのかしら?


B:彼女は私がしていることを全く意味不明だと言い、手術を受けに私がまた戻ってくると言っていました。実は、彼女の反応は非常に興味深いものでした。彼女の話を聞かなければ、私はそのままマクロビオティック食を摂り続けていたと思います。


J:ボストンに移ったのはいつですか?


B:ボストンへはポールと創業初期のエレホンに触発された他の多くの友人と一緒に移りました。ボストンでは10カ月過ごし、その後、ミチオ(久司道夫)がシカゴに行きそこのマクロビオティック・センターをヘルプするようにと、提案してきました。


J:そんなにすぐ?ミチオとはボストンで何年も共に学んでいたと思っていましたが?


B:非常に短期間しかボストンにはいれませんでした。指導もセンターの運営も全く見当もつかないとミチオに話しましたが、彼は自分がしていることをすればいいと言いました。まあ、ミチオと共にあちこち回り、彼の仕事を見ていたことは確かでしたが。


J:今のお話はクシ・インスティテュート(KI)ができる前ですか?


B:そうです、何年も前のことです。シカゴでは9カ月過ごし、小さなセンターを運営し、後に私が離れる際にロン・コーチが引き継ぎました。その後、アヴェリーヌと共にロサンゼルスに行き、エレホン・ウエストをオープンしました。ロサンゼルスからサンフランシスコにかけてカリフォルニアを縦断するように講義を開き、食品を輸入し、マクロビオティック食品を販売していきました。


J:ヨーロッパとロンドンに行かれたのはいつでしょうか?

B:1969年にボストンに戻り、しばらくエレホンの副社長として勤めました。ミチオはエレホンに長年いる従業員との間で取り決めをして、外の世界を見るために旅をさせるか現金支給をするかの選択を出しました。外の世界を見てみたかった私はヨーロッパにいるジョージの教え子の名前を調べ、陸路でインドまで行きました。アメリカに戻ると、ポールたちが活動をヨーロッパに広げることを考えており、自分にそれが実現可能かどうかを調査するよう依頼してきました。私はイギリスに戻りましたが、残念ながら、エレホンは資金不足となり実現できませんでした。私はイギリスに残ることに決め、サムズ・ブラザーズ(Sam’s brothers)向けにロンドンでセレス食品店(Ceres food shop)を経営し、その後ピーター・ブラッドフォード(Peter Bradford)に入りサンウィール・ナチュラル・フーズ(Sunwheel Natural Foods)を開きました。イギリスでマクロビオティック食品を開発し販売し始めました。私自身もレクチャーとワークショップをやり始めました。1975年、ロンドンでコミュニティ・ヘルス・ファウンデーション(Community Health Foundation: CHF)を設立し、ビジネスよりもレクチャーをやりたいと思っていた私の願いを実現できました。            


J:CHFは何をしている団体なのでしょうか?


B:巨大な建物のリース管理、マクロビオティック教育を行うイースト・ウエスト・センター、レストラン、書籍売場、保育園を設け、全てマクロビオティックを実践する人たちで運営していました。鍼灸院協会や自然分娩団体など他の組織にも部屋を賃貸したりしていました。1976年、KIを設立し、後にアメリカとオランダでそれが設立されました。


J:大学でビジネスを学ばれたのですか?どのようにして一つにまとめ上げたのでしょうか?


B:およそ1,000ドルを元手に自力でスタートしました。銀行に行き、空き建物をリースできると伝えると、喜んで2倍の資金を出してくれました。建物を直し、その付近をうろつく浮浪者が建物を燃やさないように管理するのであれば半年間賃貸料を無料にすると言ってきました。素晴らしい人たちがそこで働くことになりました。初年度は全員ボランティアのスタッフでした。2度と同じことができるとは思いませんが、ヴィジョンがしっかりしていれば人はやる気になるということが分かりました。


J:CHFは現在も運営しているのでしょうか?


B:ええ。でも全く別の形態です。今はコンコード・インスティテュート(Concord Institute)として機能し、マクロビオティックを教えるコア・カリキュラムと、その他人間性向上クラス、ボディクラスもあります。


J:指圧クラスもありますか?


B:はい。ヨーロッパで初めて指圧のクラスを開いたのはCHFでした。私自身は山本静子氏から指圧を学び、教えていました。


J:ミチオがプログラムを組んだのですか?


B:ミチオ、アヴェリーヌそして私が台所でプログラムを作りました。ミチオがカリキュラムの概略を作り、私が後で整理しました。学びたい者が来れ、指導者も入れ替わるような場所にしたいと思っていました。たくさんの素晴らしい指導者がきました。Marc Van CauewnbergheRick VermuytenAdelbert NelisonDenny WaxmanMurray SnyderWilliam Spearなどがいました。生徒たちも素晴らしかったです。ロンドンでの最初のコースではレベル1の3ヵ月プログラムで85名が受講しました。自分たちで指導者も育成しました。Jon SandiferDonal CoxSimon BrownAnna MackinzeMarion PriceMario Binettiなどです。私も45年そこにいて、1981年にミチオからボストンに戻ってくるようにと声がかかりました。当地のKIでは私たちがロンドンで使っていたカリキュラムが使われており、ミチオは住居施設へも広げていきたいと考えていました。


J:当時ボストンにはどのくらいいたのですか?


B:今回もわずかな時間だけでした。マクロビオティックが動きを持ち始めたのが当時でした。ミチオとアヴェリーヌは世界のマクロビオティック人にとって宝であり、ミチオは彼の全盛を向かえていました。東洋の哲学者でありカリスマであり知識人であるという印象を西洋人にアピールするのは自分だというロマンスにミチオは憑りつかれていました。ガンが話題に挙がった際に周辺事情は一変し、団体の方針が変わり自己開発から治療的な、特に肉体的な健康志向の訓練所という方向にシフトしました。マクロビオティック・コミュニティの雰囲気が変わっていきました。


J:あなたはあちこちにいき新しいことを始めていらっしゃる。多くの人が何かを始めた後、それに執着してしまいます。時間と共に変わることができない。ご自身はいかがですか?


B:私の執着は何かを始めたらそれから離れることですね!みなそれぞれ執着する物はあると思います。


J:面白いですね


B:事実だと思いますよ。物事が継続していくのを見るのは好きですが、私自身は落ち着かない人ですから。だから劇を指揮するのが得意なのです。劇を指揮し、それが開演したとたんに次のことを考えていました。物事の始まりに関心があるのです。


一般的な意味で物事を動かし続けるのか好きなのです。これまでやってきたことは、この世界にいる自分とは何であるのか、この世界で自分をどのようにケアし見ればよいのか、そしてこの世界をどのようにケアすればよいのかという点に関する意識を高まることに関係しています。自分の仕事をするにあたり新しい効果的な方法を実験するのが好きなのです。


J:これがあなたのヴィジョンだと思いますか?

B:ええ、これが私の人生を動かしているものです。物質的な意味で成功する時もあれば、しない時もあります。他人に影響を与える時もあれば、そうでない時もあります。マクロビオティックを伝える新しい方法を考え出さなければ大げさで表面的なものになってしまいます。ヴィジョンや目標は同じで良いと思いますが、それを達成する手段が変わってもよいでしょう。自分が何をしたいのかというヴィジョンを失った時、人はその過程の人生を失うことになります。


J:あなたの著書、“Macrobiotics and Human Behavior”を書いたのはいつでしょうか?


B:1980年、82年ころだったと思います。スイスで人気のあったインターナショナル・マクロビオティック・インスティテュート(IMI)で長年レクチャーしてきた私のセミナーをまとめたものです。現在は絶版になっています。いつも再版しようと思っていたのですが。その後、私は別の本(Natural Body Natural Mind)を書きましたが、最初に出した本の省略本のような本になりました。現在初めての料理本(Eating as if Life Matters)を執筆中で、今年出版予定です。自分が食べる物と、社会、文化、地球についての私たちの態度との関係を書いています。


B:社会的な意識ですね


J:その関係を私たちが無視できるわけはないと思います。私の解釈では、マクロビオティックが健康を創出する理由は地球環境の必要性に合致しているからです。生態的に健全で、社会学的にも正しいのであれば、私たちは健康になれます。好きなだけ陰陽を使えばよいと思いますが、結局はこの地球で私たちがいかに生きるかということになります。マクロビオティックの目的はバランスを取ることです。何とのバランスか?それは自然とのです。私たちは「自然」という言葉を「宇宙」という言葉に置き換えてしまっています。これが現実からの乖離を生んでいると思います。宇宙で何が行われているのかという話になると私は参ってしまいます。正直言って私たちは宇宙で何が起こっているかなどほんの少しも分からないのです。自然と地球が大切なのです。


私たちの日々の生活で現実的なことは何でしょうか?どのようにしてマクロビオティックの考えが私を、私の家族を、私の仕事を助けてくれるのでしょうか?人々が危惧しているのはこうした基本的な問題であり、哲学的な思考ではないのです。


J:ご家族はいかがですか?子供はどこで育てたのですか?


B:小さい子供たちはコロラド州ボールダーで育てましたが、子供たちはジプシーであちこち移動して生活してきました。KIを出た後、私はマイアミに行きサンディ・プケルと仕事をしました。その後1983年にコロラドに移り、新しいプロジェクトであるノヴァ・ヒーリング・センター(Nova Healing Center)をスタートさせました。ひどい事件に会いました。


J:どうしたのですか?

B:当時、ボールダー近くの山におり、そこは美しい場所でした。教育活動は成功しており多くの人がコースを受講しに来ていました。モーテルやレストランがありましたが、十分なお客さんを招待できずにいました。特にビジネス上のその土地の季節性もありマクロビオティック志向のレストランをサポートするのに十分なお客さんがいなかったのです。

私が関わったビジネスで上手くいかなかったのはこれだけでした。高リスクなビジネスで、ポテンシャルも十分でした。でもプロジェクトにがっかりしたのはその時が唯一でした。投資家が失敗したのです。13年間ボールダーに引っ込み若干指導もしましたがニッケン(Nikken)など他の活動にも関わることになりました。


J:その経験をどう思いますか?


B:面白いのは、マクロビオティックに関わり指導を行うと、指導し続けることを要求される感じがあるのです。まるで神父が昼間に別の仕事をしているようなものです。健康と曖昧な感じで関わることをしていると、そこから取り残されてしまいます。私が磁気製品と浄水器のビジネスに携わっていた頃、周りの人はそれをマクロビオティックと認識していませんでした。それまでと変わらず指導し、食物と健康について話す人でした。人の役に立ちそうな面白い商品を見つけたのであり、自分の家族を養えると思う商品を見つけたのです。この頃に私のマクロビオティックに対する見方が少し変わりました。外から期待されることや信念から一歩引いてみたのです。


J:ヘルマンはマクロビオティックを自己発見のための一様式だと強調していたように思います。ジョージも自分に正直になるようにと話しています。マクロビオティックをしている方の中にも誰か権威のある人の良し悪しという意見に従い行動する人がいるように思えます。それがマクロビオティックに特徴的なのか人間の傾向なのかは分かりませんが。


B:私は人間の傾向だと思います。私たちは物事を首尾一貫したものとして説明してもらいたがっています。マクロビオティックでもそれと同じことが起こったのだと思います。ミチオやヘルマンが言っていない、ジョージの本に書かれていなければ間違いだ、と。指導者に敬意を払うのは大切ですが、人は自分の精神性や判断にも敬意を払うべきでしょう。結局のところ、マクロビオティックの哲学では物事は変わると伝えています。変化は人生に興奮と冒険をもたらします。肉体的、感情的、精神的な健康を規定するのは変化に適応する私たちの能力にあります。人が何かをしようと掻き立てられるのは柔軟性の欠如と過剰な不安からです。何か悪いことが起こるのではないかと恐れているからです。これは最悪な動機です。恐怖は行動に結びつきますが長続きはしません。死の恐怖よりも生きることの理由を見つけなければなりません。


これは私たちの食事に対する態度にも現れてきます。多くの場合、健康な食事をし始めると、それの矛盾をあれこれと唱える恐怖の声を聴くようになります。油はダメとか、塩をとってはダメとか、抗酸化物質をとるべきだとか。それにより栄養と食事が科学的な一大事業になっていきます。その科学的な一面を気にかけたことは私もあるというのは事実です。もし誰かが白衣と聴診器を身につけて「泥を食べれば苦しみから解放される」と言えば人々のなかには四つん這いになって泥を食べる人もいるでしょう。私が思うに、この人は膨大な情報を目の当たりにして、何が大切なのかを決めかねているのでしょう。


そこにマクロビオティックのコミュニティが出てくるのです。私たちが提供できるのもが一つあるとすれば、それは食事法の変化に関する50年以上の経験です。効果がある食事法もあれば、ない食事法もあります。もし効果がないことについて書かれた本があるとすれば、それは非常にためになるものです。治療上は効果があるものもあれば長続きしないものもあります。個々人のニーズを尊重するとともに一般的な原理を持つことも大事です。


ガンになった人がマクロビオティックと出会うことで大きな変化が起こります。ミチオとヘルマンは同じ結論に至りました。つまり、油を全く制限する、または少量摂取する食事法や塩の摂取を厳しく摂取すれば(現在ヴィーガン・マクロビオティック食と言われている食事法)ガン細胞が急激に縮小します。多くの場合、これが好転機となります。問題はそのような食事法が最高のものとなり、ガンでない人々もそのように食べ始めてしまうことです。


興味深いと思ったのは、それが「クリーン」な食事法だと捉えられている点です。そのように食べなければ「汚い」ということです。私も「汚い」食べ物を食べているって?私は食べ物に塩をふるし、火を使うときに油を使うし、台所にいるときにはロックンロールをかけて料理しますよ。


J:私はアボカドを使います


B:美しく可愛らしいモノを取り上げ、それをグロテスクなものに変えるのはおかしいと思います。


J:13年間ボールダーに住んだ後は何をしたのですか?


B:スコットランドに越しました。リスボンでのミチオの80歳の誕生日に参加してから、もう一度教育に集中することにしました。ポルトガルのマクロビオティック・インスティテュート(Macrobiotic Institute)に勤め、スペインのSHAウェルネス・クリニックでマクロビオティック健康サービスを指揮しました。今は妻のマーリーンとスコットランドの田舎にあるペニングハム・ハウス(Penningham House)で泊まり込みのプログラムを開催しています。私は今もリスボン、マドリッド、ヴァレンシア、バルセロナで精力的に教えています。マーリーンはMacrobiotics for All Seasonsという素晴らしい本を出版し、個人レッスンも開催しています。


J:ホームページを拝見しましたが、ペニングハム・ハウスは素晴らしそうですね。


B:美しい場所です。一人用のキッチン・テーブルを備えた料理教室があります。プログラムの参加者は全員、自分のコンロやまな板を使い毎日自分のご飯を作ります。完全に実践向けです。大部分の施設ですと既に準備された状態になっていますが、それでは本当に料理ができるようにはなりません。面白いのは、参加者は同じ材料を使っても出来上がったものは違うものになってしまいます。「どうして味が違うのだろう?」と参加者は言っています。火の扱いや調理のスピード、料理に向かう姿勢など細かいことが違いを生むことが分かるわけです。


J:その通りですね。ある面では忍耐と柔軟性を学んでいるわけですね。


B:コーチング・プログラムも提供しています。数年前、私自身がKI5千人以上に指導してきたことを思い出し、そのうちのほんのわずかの人がカウンセリングを提供していることに気づきました。何か(カウンセリングや料理共に)を始める際には助けが必要なのだと感じました。マクロビオティックは難しいものという印象を与えてしまい、多くの人が自分の知識をシェアすること、間違いを犯すことを恐れています。マクロビオティックは本当は単純なものです。自分の先祖を知る必要もなく、自分の祖父の体調を知る必要もありません。食物の選び方と料理の仕方、個人の健康と生活について良い判断をする方法を学ぶ必要があるのです。


私たちは2週間プログラムにフォーカスし始めました。生徒たちは患者さんにインタビューし彼らが何を欲しているのか、どのように始めたらよいのかを教える方法を学び、治療目的ではなく一般的な健康にフォーカスしたプランをねります。患者さんがガンや生命の危機を脅かすような病気を抱えている場合には、もっと経験のある人を紹介します。生徒の中にはプログラムを修了した後すぐ看板を掲げ、自分はヘルス・コーチだと主張する人もいます。「カウンセラー」ではなく「ヘルス・コーチ」と呼ぶようにアドバイスしています。


J:料理の仕方や他人を助ける方法など大切なことを教えているのですね。


B:私たちは生徒にこの情報をまとめ上げ整理できるようになってほしいと願っています。いつも私が悩むのは、「マクロビオティックの知識は豊富なんだけど、何をしたらよいのか全く分からないの。一日中働いているし、3人の子供を持つシングルマザーなのよ。どうしたらよいのかしら?」という声を聞くときです。これは現実的な問題ですので、ヘルス・コーチがその人と相談し、毎日朝食の摂り方を指導します。前日の残り物の穀類に水を足し朝お粥を作ります。その上に調味料をちょっと振りかけます。初めから全て作らなくてはいけないと思っている人が多いのです。味噌汁の作り方?出し汁を1L程度作り、冷蔵庫に入れ、必要な時に取り出し、味噌を入れればすぐできますよ。実践的なアドバイスが求められているのであり、そうでないと失敗してしまうのです。


J:ヘルマンは人生の意味に関する非常に感動的なレクチャーをしていました。他人に生きる力を与えるために、自分の人生、ヴィジョン、情熱について語るのは大切です。最後にお聞きしたいのですがが、あなたにとって生きる意味とは何でしょうか?


B:モンティ・パイソンの映画でまさにThe Meaning of life(生きる意味)という映画があり、私自身が既存の問題と格闘する際に役立ちました。私自身も人生には生きる意味があると思います。個人的なヴィジョンでは、この地球上の人間の命は地球とは不分離ではなく、地球の意識になれる可能性があると思います。私たちが行うこと全てがその方向に向いているのです。自分の意識を高めることで、この関係に気付くことができます。個人的にそれは根本的な問題であり、それなしには人生は失われ、人の道を大きく外れることになります。


J:意識あるいは地球との融合を言っているのでしょうか?


B:SFで大きな話題を呼んだアバターやそうした類の映画がありますが、アバター以前にも同じようなことを叫んでいた人はたくさんいます。私の考えでは、すべての偉大な宗教は人類の統合とその後の創造に基づいていると思います。自然は私たちの入り口です。私たちのほうから自分自身、あるいは自然と和を結べなければ、自然の方から自分たちと和を結ぼうとは思わないでしょう。一つの種として宇宙とは本当は何であろうかなどという大ごとを唱えることができるでしょうか?


マクロビオティックの教育は食物の確定(私たちは機械的判断力と呼んでいますが)と精神的発展(最高判断力)に関する哲学的普遍化にフォーカスしているように思えます。その間にある生物的なものから最高に至るまでの判断力を飛ばしてしまうのはもったいないと思います。感覚的、感情的、社会的、思想的な判断力にも良い点が沢山あります。そうでしょう?


J:今という場所に戻ってきてそこにいること、それが大切ですね。


B:その通りだと思います。

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 40年以上、ビル・タラ氏はマクロビオティック教育、ビジネスの育成、教育プロジェクト、20カ国以上での指導に携わっている。現代の生活や文化のニーズにマクロビオティックの哲学を採用することをメインに活動している。ダイナミックかつ単純で包括的な彼の指導法は難しい専門用語を使わずにユーモアが溢れている。指導を通じビル氏は、個人と社会全体の健康を創造する方法に関する私たちの社会的理解度の大きな格差を埋めようとしている。www.billtara.net


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「地球という意識(Planetary Consciousness)
ビル・タラ氏とのインタビューAn Interview with Bill Tara」は日本CI協会・編集部が和訳したものです。



GOMFの連絡先は下記となります。
E-mail:gomf@earthlink.net
英語版を読みたい方は下記のウェブサイトをご参照ください。

http://www.ohsawamacrobiotics.com/pdf-downloads/macrobiotics-today-pdf-jul-aug-2013-detail